@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

慈愛

親はどうしてそんなにかっこよくいられるんだろう。そう思った。

今日も朝早く起きて久々にそれらしいご飯を食べて過ごしていました。熱くてTシャツが少し湿ったのでサーキュレーターを回しながらいつもどおりすごしていると会社から電話がありました。今どこにいるのか、会社で肩代わりしている保険料の支払いをしてほしいと言われ今ここにいますいつまでにどのようにして払ったらいいですか、と問うと数十万になっているからねと言った後ギリギリの生活をしているのを知っているので分割とか言ってもできないでしょ?だから月々の額はきめないけどできるだけ早めに…最大年内に払い終えてください請求書は出しますのでと言われてそれは実質一括と大差ないような状態で手当でギリギリの生活をしている私には不可能な話でした。とりあえず払わなくてはいけないものなので はい、わかりましたと言って電話を切りましたがあれこれ考えました。奨学金もある、年金のこともあるし失業保険のこともある、その中でどうしたら…?親には適宜話していたので取り急ぎ電話をかけました。1回目は出ず、2回目で出ました。お母さんの声を聞いたら安心して涙が出てしまいました。要件を話すとうーんそれは難しいよねまあもう顔も出してない人のことなんて考えてらんないんだと思うんだけど…旅行やめたらすこし出してあげれるかなあと言っていました。

旅行は家族の数少ないささやかなイベント、お母さんが心安らげる数少ない時間。少しずつ貯めた数少ないお金でどこにいけるとかどこに泊まれるとかそういうときは決まって笑顔が増えて楽しそうにしているのを知っていてかつ今年は車検もあるし厳しいと言っていた中夏に1泊ながら近場に宿をとったと数日前に連絡をもらったばかりでした。なのでそのささやかな幸せを摘み取ってしまうのではないかという恐怖でいやそうなるぐらいなら私がどっかから借金して払うだけ払っちゃうから…といったらそこまでする必要はない、お父さんと相談して見るからまっててと電話を切られました。

自分でどうにかしようといろいろ調べたりスケジューリングを立てていると電話が帰ってきました。お父さんと相談した結果一括で返しちゃうことにしたから、と。…え?拍子抜けしました。お母さんがどうにかやりくりしようとしてたところお父さんがそれを聞いてどうにかできそうだからそうすることにしたんだそうです。旅行もいけるよと嬉しそうに言っていました。ごめんなさい、また迷惑かけちゃってごめんなさいと泣いてしまいました。泣いてお金が出たらいいんだけどねと皮肉を言われながら詳しい書面とか来たらまた連絡してねと言われて電話は終わりました。

普通に考えたら自分でどうにかしろと突き放されてもおかしくない年齢なんですよね。しかもお金の問題でこれに至っては私の保険料とかそういう類で親は全く関係ない、完全に子の問題なのにしかたないでしょと当たり前のように手を差し伸べてくれて。本当に甘えてばかりで申し訳ないと思いながらその手に手を重ねて引っ張ってもらって。生活に過干渉してくるわけでもなく本当に必要のときに連絡をしあってたまに帰ってというそれだけなので過保護とは思いませんがもしかしたら過保護なのかもしれませんね。

あまりに不甲斐ない、お金の絡むことだからとメールでも改めて謝罪しました。迷惑ばかりかけてごめん、自分でやれることはやってても力不足な部分が多くて助けてもらわなきゃいけないことも多くて今回に関しては特に感謝しきれません、ありがとうと送りました。

そうするとすぐに返事きてどのみち払わなきゃいけないんだから気にしないでいいの!親がいいっていってるんだからもう考えなくていいんだからね!と何事でもないかのような返事がきてスマホを握りしめてしばらく泣いていました。

どうして親は子供の前ではヒーローのように問題を解決してくれるんでしょう。

私が入院したときも仕事を切り上げて地元から車を飛ばしてやってきてその次の日には荷物を持ってきてくれて、私が財布を盗まれて示談をすることになったといったらその時も夜なのに待ち合わせ場所にやってきてとても心強い存在にもなってくれました。

そこに見返りなどもとめるわけではなく"自分の子供のことだから当然でしょう"本当にそれだけなんだと思います。それを昔から今に至るまでずっと、余裕な時期のほうが少ない我が家で正義を張ってくているのはあまりに凄すぎることだと思います。そして私に呆れるわけでもなくただただ笑顔で辛くなったら帰ってくればいいんだからと笑ってくれるんです。ずるいと思いませんか?私の存在意義、存在理由がそこにあります。

皆が皆親が尊敬できるわけではないと思います。親も結局は人ですから老いますし病みますし性格も様々ですし。だからこそ親を張ってくれる両親があまりに眩しくて、暖かくて。そしてその愛を当たり前だと流すのではなく親が生きているうちにこうして真っ向から受け入れられる自分であれてよかったと、それを知れる機会を多く持てたことに感謝しています。

 

あまりに全てが暖かくて、ああ、頑張らなくちゃいけないと思いました。半年後、1年後私は何をしているかわかりませんが見えないそこに向けて、親が助けてくれた部分を腐らせないように、無理のない程度に体力をつけて頑張らなくてはと。

なので会社との縁は早めに切れそうです。生産性のない問答が繰り返されることがなくなりそうで良かったです。必要なものだけ拾い上げて後は記憶の片隅からどんどん消えていくのを覚えつつあまり振り返らないことにします。もうあれは私にとって一つの思い出で、つかの間の夢だったんだと。そう思うことにします。

つい昨日まで心ここにあらずというか不動な部分があったのも親の声を聞いた瞬間にすべて崩れたのできっと心が一時的に麻痺していただけなんですね、そして親の声を聞くとやはり安心します。学生時代までにはなかったのにここ1年で声が聞きたくて電話をしたりすることもでてきて小さいときに背伸びして見栄を張っていたときのつけというか、素直に甘えられなかったあの頃を取り返そうとしているような感覚です。意図してそうしているわけではありませんが心が弱っているからなんでしょうかね。いつか、しっかりとした親孝行をしたいです。それだけの地盤がいつできるのかわかりませんが今は死に逃げずに生きることが私のできる唯一の1番の親孝行なので、いつかまた良かったねって言ってもらえるように努力したいと思います。