@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

思案

熱にうなされ続けて現実逃避するために今日も更新していこうと思います。ちょうどいいぐらいの間隔かなと。

まあ先にかいた通り発熱して昨日からずっと寝込んでます。38度越えは久々で常にカラッカラになって飲み物を欲してがぶ飲みしては寝てを繰り返してます。インフルとかコロナとかの症状は出てないので単にタチ悪い風邪引いたんじゃないかと思ってるんですけど普段あんまり予定ない私がよりにもよっていろんな予定が詰まってるときにやらかしたのでいろんなところに謝ってました。普段の起き上がれない、とかとは違って頭が縛られるような痛さというか、鼻水だらだらですね。昨日の夕方ごろ自分をごまかすのに通話に参加してましたがやっぱ肩に重しが乗ってるようなしんどさはあります。

昨日色々話してる中で変なアンケートする流れになったのでこの固定の上に載ってると思うんですけど別に動画投稿するぞ!とかなったわけじゃないです。ただ言われすぎるのでどんぐらいが本当にそう思ってんだ?っていう気持ちから作ってみました。○○超えるよ!とか言われるんですけどそんなことないと思うんですよね。数多くいる人の一人として埋もれて終わる気しかしないんですけど…後押しされたならもうやるっきゃないになるのでそれの可視化が目的です。

いうて昔配信とかしてましたけどね。PC変わってやらなくなっちゃったんですけど。

 

ずっと寝ているからか(寝具で擦れているのか)大きなニキビがあごにできて本当に困りながら薬塗っています。芯が何個もある気持ち悪いしこりみたいなやつです。シャワーは浴びたし顔も普段通り洗っているし多分食生活もかかわってるんですかね。いやですね。あご以外にはできないんで腸云々もありそうです。

 

今も身体があったかいからか寒いのかあついのかわかんなくて唸っていますが、熱出る前にこれからの生活について話す機会が外であって話したんですがデイケアとか作業所とか考えたりはしないんですか?って言われて。というのも話もしっかり受け答えできているしなにかの変化になるのでは?と思い言ったとのことだったんですが正直難しいなと思うのが本心です。

そこだけじゃなく地頭はいいのに、とかしっかりしてるのに、とか親戚だったり友人だったりいろんな人にこの数年何回も言われたことではあります。そのたびにそう見えていてよかったと思う反面この本体を説明するのはあまりに難しいと思いました。

甘えているんじゃねえのかと言われたらそれまでですが起きるまでその日の体調とかどうしたらいいかなにができるかとかわからなくて、人が集まる中で一つ一つが不安要素というか恐怖要素というか、ビビる対象になるんですよね。得体のしれない人たちが集まって何かをするんだということへの危惧もあります。

それ言ったら何も始まらんのですけど。ペン1つ落ちる音で驚きすぎて椅子から落ちる人間にとって人がいる→人が何かをしている→これからなにを起こすのか→自分に向けて何かを言われるのでは→答えられないかもしれないという杞憂の塊が脳みそを埋めて目の前のやってみてね、と言われたことができなくなることって結構あって。

私が「全然まともそう」にみえるのは前々から言ってる通り、「人と会う時に心配させるような態度をとることは失礼に値すると思うから」異常なほどに背伸びをしているか、気を張らなくていい環境に身を置いているかなんですよ。無論、打ち解けた人間に対してそれはあまりないんですけど現在の生活の6~7割には適応されてます。

普段の私を知ったら驚くと思います。半分以上はここに吐露していますが本当に私は終わっていて、常に脳内ではディベートが行われていて、いろんな扉が遠くて、仕方ないのです。この人生に疲れ果ててしまって、それでもなあなあで生きられてしまうからこの世界に残っています。本来なら淘汰されてる存在だという自認があります。

それでもプライドとかなくなった私だって人と同じだと言えるように肩を並べたいと思います。でもそのデイケアの提案をされた人に対して会話をするとき異常なぐらい口の中が渇いて、たった15分の会話なのに喉がガラガラになって、正直異常でした。

やっぱり怖いというかどうみられているのか気になって、自分のボロを説明しなきゃいけない⇔人に対してはまっとうな受け答えをしなくてはいけないという衝突でバグってしまって緊張状態になったんだと思っています。

なので、保身に回っているんだと思います。これに賛同できない、理解ができないという人は多くいると思います。しかし、元来の私にとって世界は敵で、例えば外を歩いているだけで何かに襲われるのではと思ってしまうのです。被害妄想の塊、不安の塊、哀れな小心ものなのです。ストレスフリーな「どこに何を置いたか9割以上理解している誰にも手を加えられていない絶対不可侵領域ともいえる自分の部屋という空間」ですら心拍数は100を超え、唐突に嘔吐しそうになりそうな不安が襲ってきて仕方ない私が"本体"です。何年も長く付き合ってきたわがままで憐れな己というものを許してくれている存在に対してなら緊張はあまりないですがそれでも一人の時間という酸素補給がないと私は倒れてしまう。これは悪化しただけで元々所有しているものだと思います。

学生時代、名前を呼ばれて答えるみたいなのあるじゃないですか。あれ、自分が来るって順番のところをいやというほど反復して失敗しないようにって脂汗をかいていた記憶があります。突発的に当てられたら怖いから眠くても寝付けなくて、寝かけてた時にあてられた時椅子から落ちたこともあります。無論、笑われましたが自分でもわからなかったです。今なら理解できるんですけどね。今ほどじゃないとはいえ40人近い人数の所作に恐怖していて、10時間ほど寝ないと寝不足になると考えるとそりゃ学校早退遅刻増えるよなあって。大学だと名指しされることほぼないので寝ること多かったんですけど親がそこらへん寛容でよかったと思いました。

 

私が終わってるってのは今に始まったことじゃないので期待を持たないでくれって言う話でした。

どうでもいいんですが、今の人間はどうして希死念慮が強いのか、というのに『今の世界が加点式ではなく減点式だから』『減点式になる理由はもう加えられる部分がなく失うしかないから』的なものを見てとても納得しました。

各々の環境は千差万別なのでマジョリティな一般的な目線で話すんですけど今の世間って完成されてるんですよね。知識もインターネットがそばにありますから実質脳みその外付けHDDみたいなものじゃないですか?インターネットで得た知識と己の力だけで得た知識の境目、実はぐちゃぐちゃになってる、なんなら染められているのに気づいてますか?

例えば60年前、お母さんの家に初めてテレビがおかれたという話を思い出します。それが白黒からカラーになったとか。家電という点で見ただけでも空白が多いから埋める余地がたくさんあって物理的にも精神的にも潤っていく一方だったんだと思います。世界の豊かになっていく過程を見ていたから、根底にポジティブさが残っている。

加えてそこらの年代ってインターネットっていう"全世界"を手にするのはまだまだ先のことで、自分の周りが自分が開拓することでどんどん色づいていくのが楽しくて自分なりに遠まわりでもなんでも頑張れば実る時期だったんですよ。そして豊かになっていく。失われた~とか言われる時期まではそうだったんだと思います。だから自ずと加点式になるんだと。

インターネットという概念が普及し始めた90年代でもまだ埋める余地はたくさんあって、当時利用してた層はいわゆるIT系というのがまだまだマイナーだったときに触れていた"物好き"ぐらいだったんですよね。そういう物好きがHPを作ったり板で交流をしたり、そういうのも加点式といえるんじゃないかなと思います。

インターネットの側面で言えば私はインターネット黎明期から現在までいじっている層なのでインターネットに自我を食われていると言われても文句は言えないんですがflashから動画に移ったり、違法ダウンロードして視聴したり、そういう意味ではジェネリック加点式方式を知っているともいえるかもしれないです。それでも物理的な豊かさには勝てない気もします。

でも2020年代、余白ってどこにありますか?私に見えてないだけかもしれないですし固定観念が強くて新たな概念に飲まれていく可能性は大いにありますが大概の薄っぺらい提案はずいぶん洗練されて、全世界とのコミュニケーションの取り方も随分簡単になりましたよね。リアルタイムで人と対話できますし。

最近はAIとかVRとかそういうのが盛んですけど今の学生にとってインターネット(というかスマホ)は必需品であり、世界に見られている、世界を俯瞰してみたときの自分の影響力の小ささとか、すごい人たちの光とかそういうのを無意識のうちに理解してしまってるんだと思います。だから減点式になってしまう。

自分は○○が得意だけど□□というとてもすごい人がいるからとてもじゃないけど出せたものじゃない→自分は何も持ってないんだ、没個性なんだ という悲観図が毎日のようにどこかで起きている。だから自己肯定感とか作りにくくて、しかもその中で結果を出せって言われがちな環境。生まれたときから豊かな状況に居たら失うことへの恐怖ばかり生まれる。そりゃ希死念慮にはしっちゃうんだろうと、最初にあげた文章から解釈しました。

まあ最後のは自分にちょっと重ねちゃってますけど。

最近だと自分が何をしているのか30分おきに1回加工なしの画像を友人らでシェアする、GPSでどこにいるか見合うみたいなアプリがあるみたいですね。詳しくないのでわかりませんが監視社会?かな。それを楽しんでいるのであれば否定はしませんが私は純粋に怖いなと思いました。拘束しあうことが一つのコミュニケーションなんでしょうか。

 

と、最近は寝込んでいてやることがなかったので堂々巡りな気持ちを吐露するのがメインになってしまいました。難しいですね、世界。

そんな世界を今日も楽しめているあなたはすごいし、立ち向かっているあなたもすごいです。私みたいに悲観しすぎないでくださいね。それではまた。