@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

烏有

久々の更新になりましたが「頭の片隅にありながらも書けることが何もない」というのが実情でした。まさに頭の中は烏んぞ有らんや、烏有に帰すといったかんじ。もともとこの備忘録もとい日記は思考し続ける時間を何もなかったことにしたくなく思考や体調を記録し始めた場所で、最初こそ自分の内側で巡り巡っていたことをつらつら書いていたものの最近その思考すらもままらならなくなってしまい、文字を起こしてもしっくりこず消してしまうことが結構あります。自分の表現したいこと、適切な単語がかすみがかったような状態で、人と会話をしてみてもあんなにぐるぐるしているはずの思考回路が遅くなっているのを痛感せざるを得ないほどらしい会話が成立せず、もちゃっとした口調、会話のテンポになってしまい自分の数少ない持ち味がまたそがれていったような感覚すらあります。まあでもこれは続けようと思ってます。そうじゃないと本当に何かあった時に何も発信できなくなってしまうので。

 

とはいえ、考えることを放棄したというのではないのです。思考を放棄するのは生きることを放棄することとほぼ同義だと思っていますのでそれだけはありえないのです。ではなぜ「何もない」になってしまったのか。単純に活動時間が極端に減ってしまったからです。もっと端的に言うと眠る時間が異常なほどに伸び、タスクをこなすまでが遠くなって思考を整理する前にばててしまうという悪循環が起きているのです。自分は潔癖のきらいがあるのは皆さん周知かと思いますがそんな私がシャワーにすら入れないほど時間が睡眠、いや「何もない」に関連した重し・足かせに支配されているのです。

 

今日も実際、昼過ぎに横になって眠るというよりも気絶してしまったのほうが等しい状態になっていました。まあ今日は早くから活動しなければならなく、中途覚醒、仮眠とあまり睡眠の質が良くなかったのもありますが何度も部屋に戻ったり外に出たりと繰り返していることに疲労してしまったんだと思います。私は本当にロボットのようにバッテリー切れのように突然止まってしまうきらいがあるので何か連鎖を断ち切る予兆だの、新しいことだの取り込めればいいのですがいかんせん難しい。

まあただ不幸中の幸いというのか、パンドラの箱に残った希望というべきか頭痛の頻度は落ちました。もちろん動けない日もあるのですが毎日のように痛い痛いと言っていたころに比べたら安定してきたように思います。

 

今日の予定の一つに病院に行くことがあったのですが第一声に「そんなに顔色がいいなんて久々だね」と言われました。まあ実際頭痛がガンガンするときだとか瞳孔が開いているような状態で受診することが多かったので確かに比較的マシな状態ですしこの1か月は今年の中ではかなりいいほうでしたとお伝えしました。かなり薬は飲んでますがそれと別にいろいろサプリメントも飲むようにしたのでその効果もあるのかもしれません。脈拍も普段の100超えとはうってかわって87でした。まあ高いけど広義でいえば標準と言えなくもないよとのことでした。100以上が常である私がリラックスしているのでしょうか。「何もない」は思考を止め、リラクゼーションをもたらしている?でもそれは本当に生きていることになるのでしょうか。己の中で循環するものをせき止めてまで得る安寧は少し息を止めたあとにする呼吸のようなものだと思います。生きた屍とはいえど、まだまっとうに考えるだけの力はあるつもりです。

 

前回以降、ちゃんといろいろを見たうえで投票をしてきました。弔い云々国葬云々あるかと思いますがまあデリケート過ぎるので割愛します。

 

そういえば今日弟が誕生日で電話をしました。自分も老けているのに弟が26というのでは~~~となりましたが元気そうで何よりでした。ついでにお母さんとも話したのですがついに認知症?ボケも進行してきたようで「こんな服買った覚えがない、〇〇ちゃん(私)が買ってくれたんだねえ」というようになったり徘徊するようになったりしているそうです。この人の話になると悪態しかつけないのでここも省略したいのですが一つの驚きはどんなにボケたりわけがわからなくなってもお母さんにはあんたがやったんだろうという割に私には~してくれたという孫への愛着を感じさせるような表現が多々見受けられました。私は本当にその家にとって長年望まれていた存在なのだと重たい十字架を背負わされた気持ちになりました。一応お盆に戻る予定なのですが最近また禍が悪化しつつあるので戻れるか微妙ですね。多分是が非でも戻ると思いますがその前にまた一つ記事は書かないとですね(実家にいる間は環境がなく書けないので)

 

どうでもいいのですが本当にお金がないなと思っていたらいろいろととんとん拍子にことが進んで臨時収入が入りそうなのでどうにか今月やっていけそうです。また世界に生かされてしまったって感じですね。本当に嫌になってしまうぐらい何度もどっかしらで帳尻が合うこれはいったい何なのでしょう。こんなに生きる予定はなかったのですが。

とはいえ、それがあるがゆえに生まれた縁ということ、世界は広いということを知ることがまあまああり、それらを知るべくして・つながるべくしてここにいるのだと感じざるを得ません、それもまた思し召しなのだと思いながら今日はこの辺にしておきます。中身はさておき久々にちゃんと書いた感があります。トータルで今日は3日分ぐらい頑張ったので少し自分をねぎらいつつゆっくりしたいと思います。気絶ではなくゆっくりとしたいです。それでは。