@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

混沌

しばらく記録をできずにいたので、普段よりダラダラ支離滅裂に長くなってしまうかと思いますがまとめていこうと思います。

先んじてお伝えしたいこととしまして、誕生日を祝ってくださった方々本当にありがとうございます。様々な形でお祝いをいただき、1人の身ながら心が満たされるような感覚でした。ボロクソな『私』を視認してくれる人がこんなにもいるのだ、と知れて嬉しかったです。

余談ですが毎年誕生日が1日違いの長い長い付き合いの人がいるんですがこの時期はやり取りをします。私にとって自分とその人の誕生日はひとセット。毎年そのやり取りだけになっても、私はそれが嬉しいです。

まあリアルはどうなのかといったらケーキを食べるでもなく、酒を飲むわけでもなく、一週間ほどつづいたほぼ張り付くようにゲームをした疲れをとるように惰眠を貪って適当なレトルトを食べてグミを貪っていました。客観視するとなんて寂れた1日なんだろうと思ったりもしましたがそれは「普段」と何一つ変わらんのでまあそんなもんだよなと思いつつも年を追うごとにリアルの関係のある人とのやり取りのなさを痛感します。でも親友と家族とはやり取りできたのでよかったです。まあケーキは後日買おうかなって思ってます。後夜祭みたいな感じで…

起きた時時間を見るのにスマホを持ったら1分もせずお母さんからお誕生日おめでとうというメールがきて本当にびっくりしました。引っ越した部屋の場所も知らないはずなのに見てるんじゃないか?と疑うぐらいタイミングがよかったです。親ってそういうタイミングがよかったり知らないだろと思ってたことも知ってたりしますよね。逆もしかりだと言われましたがやっぱ家族ってコミュニティの中でも特異なものなんだなあと思いました。(あくまで自分の家庭は、という話です)

ただ正直なところ、20を越えてからの誕生日は一年頑張って生き延びたという意味で祝われるのは嬉しいにして年齢の感覚ってふわふわしてくるものだなと感じています。

これは私が数年、社会から隔離されているからなのか?皆が歩み、経験し、成長し続ける、まっとうな人間として歩む人の27年はもっと重みとかがあるんでしょうか。自分の視野や思考回路はずれているという自認は流石にあるので一般的なそれがわかりません。その世間という波に戻るのにどれくらい時間がかかるのか、わかりません。日を追うごとに手持ちのものがどんどん指の間から落ちていく感覚。手に力が入らなくなって落ちていく、のほうが正確かもしれないです。

でも今年は一味違った気がします。アウトプットをすることで新しい出会い・つながりがありました。多くの経験と不器用さで疑り深くなってしまった私に明瞭な親友ができました(すでに居たけれど明言できた)。見てて不快なものとか不必要なものもまとめて捨てました。謎に溜め込んでた紙とか、あと下着とかも伸び切ったのあったので。

いらんものを捨てた、それだから色鮮やかにみえるんでしょうか。だからピントを合わせようと今まで避けていたことをこなせるのでしょうか。新天地に降り立ったような、そんな気さえします。この歳で今からどうすんだって感じですが将来なんざ売り払ってしまったも同然なので今を燃やして生きることを優先しようと思います。

 

 

さて、いつもどおり直近の備忘録ですが体調面に関してはあいも変わらず頭痛がひどく睡眠も8時間はとらないとうつろうつろしてしまうご自慢の燃費の悪さですが発作の頻度は落ちていました。悪夢の頻度も減りました。ただ1回、起きていながらに冷や汗がスネからあふれるように滴っていて気持ち悪かったことがありました。寝汗でびちゃびちゃになるときと同じ感じです。この自律神経の狂うメカニズムというか私の身体の裁量はどうなっているんでしょう。漢方はしっかり1日3~4回飲んでいます。頻度こそ落ちはすれど気圧の変動やちょっと身体のメンテを怠ると一つ引き抜いただけで崩れ落ちるジェンガのようにダメになります。ダメになってしまえばその崩れるのを眺めたあとゆっくりゆっくり積み上げ直すことしかできないのです。

20時に寝て5時に起きる生活をしていたのですが7時~10時に起きて0時~2時に寝るような生活に戻りました。矯正されていたようなものなので多分また前者に戻るんじゃないかと思います。老人のようなサイクルですが余裕を持ちながらやりたいことを全うし、なんと言えばいいか、生きている感覚を味わえるサイクルがそれだった気がします。雪も降ってきていよいよ冬到来ですが雪が深まったらまた変わるかも知れません。

最近、自分が今よりどん底だった「言われたことすらできない」「かつてできたかんたんなことができない」頃に溺れるようにハマっていたコンテンツ、狂ったように見ていた動画を思い出したように見ていました。単調な作業の合間合間に面白半分でみてみようという感じでした。当時はそれが面白くて面白くて仕方ないと思っていたはずなのに今見ると狂気の沙汰でしかないものばかりなのです。少なくとも今の自分には怖い、好き好んで毎日見るもんじゃないというものばかりでほとんど音声だけを聞くだけで画面は見れないとか逆に画面だけで音は消すとかどちらかは遮断しないとだめでした。自分でもびっくりしましたがそもそも自分の好みの対極にあるようなものばかりで、当時はショッキングに思えなかったものも今はショッキングに感じてぶり返しそうになりました。程々にして深堀りしないようにしました。当時は今頃弊社はどうなってるんだろうかなんて思いながら平気でそれらを見れました。今は無理です。

例えばですが、辛いものが大好きな人が並の辛さじゃ物足りなくなって真っ赤な極辛ラーメンを欲するような感じだと思います。そういう"刺激"じゃないと満ち足りない。もっと辛いものを。それに近いかなと。自分にとっての"劇物"じゃないと"刺激"にならない、そういうものを見ないと逆に気が狂いそうになっていたんじゃないかなあと分析します。正直記憶が曖昧で、思い出そうとすればするほど根幹に近づきますから、まあ気持ち悪くなったりするんですよね。先生はそれらを見抜いているのか(私が忘れているだけでそれらを伝えたのか?)私はまだ休みなさいというのだと思います。

休むというのは過去ではなく今に専念して、という意味合いが強いです。というのも色々と恩恵を授かるためきはそういうことを書かねばならぬ書面もあったりするのです。経緯とか症状の始まりとか悪化するまでとか。思い出しながら書かねばならんとなると先生だけでなく病院にいるカウンセラーのようなかたにもまだ治療に専念したほうが…と打診されるのです。

 

ただ、うわっと思えるほどには感性が戻ってきたという意味ではいいことですよね。まるで全てにビビるような感じになってますけど少しずつ適応できるように鈍くさせるというか、ぼやかすというか、元々が感受性が高すぎるのをどこなら緩められるかと色々と模索してます。その中で先述のような"劇物"を摂取しているときに無理に就活をしていた半年ほどはできたてのかさぶたをかきむしっていたも同然だったかもしれません。

といっても(一般人として)生活できなくなりそうだからどうしても、とお願いしてまあ生活があってこそだからね…という感じで就活できるように書面を書いてもらいましたし、その上で頑張ってもお祈りが届くんですからそりゃ良くならんわけで。自分の受け答えが良かったとしてもブランクが半年でもあればそこを問われます。障害枠で探したとして書かれていなくても『精神』より『身体』の方のほうが幅広く受け入れられたりするのです。

あのときはそれらをするしか選択肢がない、急がないとという感じだったのでがむしゃらしてました。一般人、から守られる側に階段を降りたことでどうにかギリギリ保てるとなったらその中で少しでも休んでほしい、まだまだ薬や環境に頼らなきゃいけない部分はあると思うからねと言われたのは先述している諸々だけでも十分伝わるかと思います。現状も今まで自分で調整してみて、と言われた部分も寝る前の薬は自分の判断で減らさないで今月はこれちゃんととってみて。と強めに言われるくらいまだグラグラしています。それでもそういうアドバイスを受けたりいろんな組み合わせを提案してくださって試したりして見る中で取り戻せた感性があるんだなというのが今の感想です。

 

 

少し前、別のところでぼやいたことなんですがメンタルに直結する内容なのでここであえて触れます。今後触れない予定です。「精神障害者は何を言ってもいいご身分なのかね?」「こっちは我慢しているのにいいたい放題」「病んだといえば免罪符になるもんな」意訳ですがそんなことを言われました。2年ほど付き合いがあった方なんですが「あ、なんも見てないんだな」って、どうにか保ってた糸が切れるというか解けました。経緯や現状を知っている方でした。外への攻撃が強い方だったので誤解を招きかねない所作に私が感じた違和感を伝えたりこういう視点もある、と言ったりしていたのですがその方にとって私はその精神障害者という主語の一部でしかなかったんだな、と。同じ場所(状態)を目指してるなんて言ってなく、指摘してくれることを感謝していると言われたり、どん底のときに生きてほしいという禁句が書かれた紙を渡されたりしていました。

私は平日昼になんで自由なの?とかいちいち聞かれるのも面倒だし誤解が生まれないように素性を明かしているだけで免罪符とか撒き餌のために吐露しているわけではないのはこれまで3年以上書き続けていることからわかると思います。あと燃費が悪くガタが来たからメンテナンスで精一杯で都度疲弊していますが元気に見えたらしいです。個々人にそれぞれ世界があると思うので好きに解釈してもらっていいんですがその方にとって精神障害者は免罪符もちのご都合主義な存在に見え続けるんでしょう。

ささやかな違和感がきっかけとなってこちらから離れました。そのきっかけが決定打だと思われてもいいです。もうどうでもよいのです。それらは全部不毛だったのです。感謝など、一切されていなく、煩わしいものだったのでしょう。その日から憑き物がとれたように気が楽になりました。それを保つためのだれた情は無駄な思考を回すエネルギーを持っていくものだったんだと思います。大学時代出会ったとある存在を思い出すにような感情が時折湧き上がりそうになりますがうまく交わして、時間の流れとともに早めに風化すればいいなと。私はそういうひともいるんだと、いい勉強をさせていただいたと思うことにします。もうこの話は持ち出さないようにします。

 

忘れる、はマイナスなものと思われがちですがこういうときにも有効なんだなと思い知らされます。忘れないというのは人間にはむつかしい多分、キャパオーバーして今の視認が難しくなるから。離れるほどに辛いや嫌いなどのノイズを減らしきれいな部分を残して(ときにはその事柄自体ごっそり抜け落として)都合のいいあったらしい事柄、として保管して並べていくんだと思います。まあその機能のせいで大事だと思っていることも落っことしたりしちゃうんですけどね。

 

色々書かなきゃと思っているうちにとんでもない文量になってしまいました。

去年の誕生日を迎える瞬間は大好きなコンテンツに浸って、今年の誕生日を迎える瞬間はゲームをしたあと夜も深まる中麻雀をしていました。なんだかんだ誕生日楽しんでますね。

あと甘いものを減らそうとしたのですがなんだかんだ毎日ちまちま食べて、今日は春雨スープと大量のグミだけという最悪のラインナップになってしまいました。自戒していきます…

「きっとだれかが見つけているだろうけど自分が見つけたという体験が重要だと思うから経験をしたい。」うつろうつろしながら付箋に書いたみたいです。そういう1年にできたらいいですね…それではまた。