@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

改築

寝落ちしてしまう、とかパソコンつける気にならんとかそういうのが続いて10日近く経ってしまいました。もう10月ですね。10月と思えない生暖かい風で数字と季節のズレを感じます。

季節といえばよくこの時期になると「金木犀」とか「彼岸花」とかよく聞くのはなんだろうな、私が無知なだけか?と思い生きていたんですけど高校時代に調べたらどっちも北海道には存在しないというか自生できないみたいですね。冬の寒さに耐えられないんだそうです。もしかしたら温暖化が進めば進出してくるかもしれないですけど人間は異物に畏怖を感じるのですぐ受け入れられる気もせんですし雪は避けられないですからやっぱ無理ですね。代わりに冬の匂いというか、雪の降る予感みたいなのはわかります。まあ憧れるような雪ではなく分厚い氷と仲良くしなきゃなんですけどね。引っ越してから初の冬、不安がよぎります。水道管なんて凍結させようものなら5万10万は余裕で飛ぶので…

そう言えば生活サイクルがバグってしまってしまっていましたがある程度マシになりました。フッと意識が飛ぶというか意図せぬところで寝てしまうのはままあるんですが先手をうって薬を飲んだりしているからか寝苦しさっぽいのは減りました。

ただ押し入れを整頓したときに筋肉が頑張りすぎたのか2日半ほどあまり動けなくはなりました。内太ももというか、膝の上というか、左足だけ違和感がすごくてワクチンの副作用なんかよりよっぽどだるかったです。

 

引っ越してきたときに掛け布団を捨ててからそのままだったので思い切って掛け布団をかいました。掛け布団なしでも過ごせるっちゃ過ごせるんですけど寝るときに少し重さがないと気持ち悪く思うタイプなのと掛け布団なしで過ごすならエアコン感覚で灯油ストーブを使わなくてはならないんですよね。コスパが悪すぎますね。

思えば殆どをベッドで過ごすくせに寝具をないがしろにしすぎていた気がします。定期的にシーツを買えたりとかはしていたのですが毛布やタオルケットを洗う頻度はそれより低いですし枕も同じものばかり(洗うタイミングを逃しがち)だったので引っ越してから少しずつ回せるだけのものを補填させて丁寧さに近づいた気がします。

しかも今日たまたまデパートにいったら大セールでシーツや掛け布団カバーなどが売っていたんです。結構破格で問答無用で買ったんですが前の部屋で結局買わないまま担っていたカーテンもサイズがぴったりのものが売っていたので買うか~~~~と思いながら買いました。雑貨屋にも言ってベッド周りのごちゃごちゃをマシにしました。全部うまくハマっている感がすごいです。ただペットボトルのゴミを捨てるタイミングを逃しているせいで大きい袋3つになってしまいました。次は絶対捨てます。

 

動けない(肉体的な理由で)時間が多かったので本を少しずつ少しずつ読んでいました。現代文とかも線を引きながらじゃないと咀嚼できないので付箋をはったりとか自分の感想とか書きながらちまちまやってるんですけど触発されてまだ積んでいる本があるのにまた古本を買ってしまいました。まあ活字を読むのはいいことなのでいいんじゃないかな、というのと電子書籍で結構色々買ってみているんですが漫画とか絵と違って文字の羅列なので光っている画面、めくった感覚のないそれは読んだ気がしないっていうか文字が滑るっていうか脳に残らないんですよね。前も話した気がしますけど…"その気になっただけ"感がすごくてやっぱり一生馴染めないなあと思いました。

 

前に比べて外に出たいな~という欲が減り、抑うつが垣間見えることが若干ですが増えました。減薬だからなのか季節の変わり目だからなのか気圧変動からなのかわかりませんが冬はもっとこの傾向が増えるので今のうちに動かなくては、備えなくてはならないのも実情です。

気圧で思い出したんですけど「でた気圧のせい」みたいな風潮、一部であるみたいですね。本当にびっくりしたんですけどまあ人間って知らないものにほど強く出る傾向があるっていうのと根性論が強い(かなりマシになったとはいえ)のでまあそう思うのも致し方なしですね。あれってちゃんと根拠あるんですけどね。私の抱えている精神のあれこれだって甘えだろと思っている人とか実際言ってきた人とかももう何人も見てきたので慣れたもんだと思っていたんですがいざまた見ると驚きを隠せないのと平和や平等だのの「平」は難しいだろうな~と思う昨今です。

 

立て直してるんだか立て直してないんだかわからんですが個人的にはやらかした感はないのでセーフということにしてます。本屋に行ったとき見つけたHPSの本、自分を知るためにも買うべきだったかなあと少しひっかかっているので次行ったとき売ってたら買ってみます。HPSは病む前からなのでもしかしたら私は生まれ持って感受性が強すぎたのやもしれませんね。縁が切れてしまった人に言われた発達なんじゃないの?という言葉を本能で拒絶してしまいましたが発達かはわかりませんが少なくとも中学の時からHPS的症状はでていたのでよくこれまでやってこれたなと思います。過去に戻りたい、という人を見ますが私が戻りたくないと思うのはそういう"恐怖体験"が脳で散りばめられているからなんですよね。それありきで傷の痛みに鈍くなった(それでも脆いけど)のが今ですからね。

 

そういや手帳更新しました。弱者の証明を持ってもう2年以上経つんですね。普段まともぶっていきているけれど普通の人と同じく生きるのは難しいを痛感しているので無事更新できてよかったです。証明写真が若干斜めに張られていたのがちょっともやもやしますがまあ誤差です。

最近の小さな悩みが「紙類をなかなか捨てられない」なんですけど領収書とかどこまでが必要なんですかね。レシートとかも一応領収書ですし。にしてはかさんで仕方ない、取っといてよかった事例はいくつもある、というので悩んでいます。下手に大切な紙を捨ててしまったら~とか思うと強迫的観念が強まります。ただ、それが整理できればだいぶ気持ち楽になりそうなので少し人の意見を聞いたりして分別してみようかなと思います。今日はこのへんで。