@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

中身

今日も気圧にやられてとても疲れています。久々に3日連続しっかりとした理由をもって半日ほど外に出ていた反動もあると思います。用事があるときはいい天気で本当によかったです。おかげで少し外に出歩くのも気持ちよく感じられました。ただ2日後に筋肉痛が来るとは思いませんでした。運動はしないとだめですね。

ここ最近、かつて少しの間起きたサイクルをまた繰り返しています。4時ぐらいに目を覚まして7時ぐらいにベッドをでてつかれて20時頃に眠る、みたいなサイクルです。今日はとても耐えられないぐらいお腹も頭も痛くて寝込んでいたのですが目を覚ますと首元を触ったときに水滴がついたりパジャマが湿るぐらいに寝汗をかいていて気持ち悪く思いながらまた眠ってしまったのですが次に目を覚ましたときもまた同じようなことが起きていて今度は足元がとても冷え込んでいました。胸元、首元あたりに熱を感じるだけに奇妙で気色悪く、検索をかけると心因性のものだという記事ばかりなのできっと症状の一つなんだと思います。今度先生に伝えようと思います。

数日前に病院にかかったときは相変わらずといったやり取りをして終わったのですが最近睡眠への煩わしさも減って不安なことも少しずつ減って調子が良くなってきたように思うけれど食欲はあんまりないということを伝えるとなんでだろうねえ…食欲が湧くような薬2つ入れてるんだけどねえと言われそうなのかとそこで知りました。ちゃんと薬局でもらう紙みたら書いてるんでしょうけどあってるかあってないかしか興味がないので気にしていませんでした。食欲がないというのもお腹がなってても食べる気がしないかんじでゼリーとかならギリギリ行けるかなあという感じです。無理をして食べようとする気にもならないというか。食べたら食べたで吐くことはほぼなくなりましたが朝食後夕食後の薬も食べないがゆえにいつ飲めばいいのかなと少し困っています。1日1食が今の限界です。血圧を毎回測るのですがそのたびに棒グラフのような横線がいくつか書かれてそれが山形になれば健康らしいのですが気分がだいぶマシだったそのときですらまだ弱い反応しかでてこないらしく以前に比べたら形にはなってきているのですが本当ならもっとこれくらい出てくるんだよと言われた形が自分のものの3倍ぐらいの大きさの線で驚愕しました。それになれるのはいつなんでしょう。

 

その次の日は就労支援センターに行ってきました。未だに近道が覚えられず、なんなら駅構内を真反対の方向に歩いていたせいで遅刻してしまいました。会社にいたときも言われていたのですがカンを頼りに行くと真逆にたどり着く方向音痴みたいでなれない道を通るときは地図が手放せないです。最近はいぜん書いたとおり引きこもりの息子を殺害した親の事件があったこともあってか引きこもりの子供を持つ親からの相談も相次いでいるせいであまりここでの面談の時間を気軽に取れずにいたので久々の面談でした。病院で飲んでいる薬のことだとか区役所でのこと、そもそも退職をしたことなどを話しました。なんだかその時は気分がよく、結構笑っていたと思います。そうだからかもしれませんが担当の方に改まったような感じでこう言われました。「半年ほどこうやってあなたと月に1回か2回お話をしているわけだけどいまこうやって見てるだけだとしっかりして話の起承転結もちゃんとしていて、朗らかな印象すら感じます。外行きの振る舞いをしているとは思うのだけれどその印象のせいで家にいるときのあなたが全く想像できない。これは悪く言いたいわけじゃないんだけどこんなにちゃんとしている子がこんなに薬を飲んで、毎日何かを抱え込んでいることが想像しがたいんです。」

私は人様に見せる姿は自分にとっての理想でありたいと思っています。その姿はときにアホらしい姿かもしれないですし何かを指示する姿かもしれません。ただただ人の話を聞き続けるかもしれませんし自分の話をし続けるかもしれません。人にとってどうかは別として自分の中での理想の動きをして1日を終えたいと思っています。なので意識しなくとも一人反省会だとか突然自分の中では失敗に位置づけられた事柄がフラッシュバックします。こういう考えが鬱を引き起こしやすくなるのかもしれないんですけど治すのは難しいですね。外で振る舞う姿は無理をしているわけじゃないんです。そうしたいからそうしているだけでそれも本来の自分なんです。

それでも家にいるときの自分も本来の自分で、その時の私は何もしゃべらず少し家事をして後は寝ているか床か天井かパソコンかスマホを見ているかだけです。それがとても気楽でそういう時間がないと外で振る舞うエネルギーが回収できないというのもあります。同じ空間に人が1人でもいれば私はその人向けの私に自動的になります。知らず知らずのうちに神経を尖らせているので人がいるところで眠るということができません。まあ最近は一人でいても薬なしで夜はねれませんけどね。昼は眠くなることがあるんですがなぜ夜は寝れないんでしょう。考え込んでしまうからでしょうか。

まあどっちも自分といっても本質的なものは後者なのかなと思いますし、生きていて痛感していますが私はちゃんとしていると見られて実際ちゃんとしようとしていてでも叩いていくとボロが出てくるようなそんな感じなので周りには期待はずれと思われがちです。ちゃんとしたい、ちゃんとあるべきという気持ちと能力に見合わない過大評価と空回りする努力という踏んだり蹴ったりです。そうなりたくなくてできるだけ自分らしく振る舞おうと会社で頑張りながらも頼ることを覚えたかったのですがそうなる前に限界がきてしまいました。

担当者さんの言葉はあくまで担当者さんの思った私への評価でもあり意見でもあり、半年話していても読めない部分があるということでもあると思います。話せることはすべて話しているつもりなのですがいざそこにいくと話をしようとしたことを忘れてしまって思いついたことをポンポン話すので結果的に中身の薄いものにしてしまっているのかもしれません。しかし前回最寄りの系列の施設みたいな場所にいる担当者の人の名前を忘れてしまって行けていなかったのでそれはちゃんと聞いてメモを取ったので今度行ってこようと思います。外に行くきっかけや居場所はやはり重要です。

 

あと会社の仮払金のあれこれは無事に片付きました。親には感謝してもしきれません。会社から朝早くに無事に一括でいただきましたのでと電話がきた直後にお母さんに電話をしました。とりあえずよかったんでしょと恨み辛みのようなものは一切なくただただよかったねぇというだけでむしろ遅くなっちゃってゴメンねと5分もしないで電話は終わりました。なんでこんなに優しいんだろうと電話が終わった後また目からポロポロ涙が出てきて耐えきれなくなってしまいました。そんなすぐにパッと払える額じゃないんですよ。いくら一括で払うからといったって8月ぐらいになるかなと思っていたら退職して2週間もせずにそれを済ませてくれたんです。一人暮らしをして扶養でもない子供が会社と綺麗サッパリ縁が切れるように払ってくれたんです。それがあまりに特別で感謝しなくてはいけないことだということを特に自覚しないといけません。きっと親はそれを聞いたら親がいいって言ったんだから気にするんじゃないと笑うんでしょう。私の知らないところで細かく家計をやりくりして当たり前の日常を彩っているんだと思います。それに応えていかないといけないなあと思いましたしやっぱりお母さんの声は安心するなあと思いました。8月に帰るつもりですが早く会いたいです。