@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

子供

7月になりましたね。暦ではもう夏です。1年も折り返し。私にとっての上半期はあってなかったようなものです。何もできなかったのほうが正しいのかもしれません。慌てたり追い詰められたり絶望したり怖がったり心の動きこそ激しけれどそれに押し流されているうちに今日にたどり着いてしまった感じです。こうやって月日は消費されていくんだなと思います。

そしてついに会社を退職しました。1年と3ヶ月しがみつかせていただいた会社とはあとはお金の支払いと離職票を受け取るやり取りをすれば完全に縁が切れるといったところです。職業の欄には無職と書く人間へとなりました。もともとそういうような生活を過ごしていたので大した変化はなく自ずと受け入れられるような感覚だったので大したことはないという感覚です。社会的信用とかそういう類はガクッと落ちましたがもう落ちるところまで落ちたのでそこらへんも何も思いませんでした。今日も普通の一日を過ごしていました。

まあとは言え一応無職初日なのでいろんなことを考えていました。離職票が来次第いろいろと役所で手続きをしなくてはいけないのであれこれしなきゃと思うことが主なものですがその後は1年経ったのかあそっかあと少し感慨深くなってみたり前より家事をするようになったなあと思ったりそういうことを考えられるだけ心の余裕が増えてきたんだなと少しうれしく思っています。眠ることも眠らなくてはと思うことも減り、自然と眠りにつけることが増えました。そういう意味では薬があっているのかもしれません。まあ病院に行くたびに薬が増えたり強くなったりしていてそういう踏み台がなければそれができないと言えばそれまでなのですがやっと自分にあう環境というか下地が見つかったのかなという気がします。

今薬は朝3、夜8飲んでいます。特に夜は手のひらに乗っけるたびに多いなあと嫌になります。飲み慣れているのでまとめて飲んでいますがカプセルが喉でジャラジャラ言うのは未だになれないです。分かる人にはわかると思うんですがアレちょっと気持ち悪いですよね。

少しいいことも考えられる日も出てきたのはいいのですがその反面毎日生活していて1年も経つのに私の時間は止まったままだなと思います。一人で生活をしているけれど仕事をしているわけではなく、毎日が療養。私はなんでこんなに外で生きる力がなくなっていて、なんでこんなに怖くなるときが突然やってきて、なんでこんなに食欲がないんだろうと思います。半年ぐらい前なら仕事でのミスがつづいて、頑張りすぎて、上司が事務の人が、そうやって言えたものももう昔のことになってしまっています。私の恐怖の対象は、私の悲しみの原因はどこにあるんでしょう。私が無意識のうちに消してしまった記憶が脳には深く深く残っているんでしょうか。そうだとすればきっと私は相当無理をしていたんだろうと、背伸びをして、足の指の骨が折れそうなぐらい背伸びをして、視界がどんどん狭くなって、大切なものを見落として、自分すらもなくしてしまいました。そうやって文字にして言えるほどにはなってきましたがその傷はまだまだ癒えないのでしょうか。ここ1ヶ月ぐらい漠然と、ずっと考えていることです。

あの会社は世界にとっては小さな小さな存在ですが私にとってはそここそが社会の入り口で世界でした。だからこそ社会に対する恐怖、底が抜けるほど低くなった自尊心につながっているのかもしれません。今もこうある理由がわかりませんが少なくとも私は周りの人に比べたらまだ一人で起き上がることができない状態でしょう。もしかしたら私は普通になってきたと思っても人から見ればおかしい日々がただただ続いているのかもしれません。考えすぎそうになったら頓服薬を飲んでセーブをしていることもあり、今こうやって書いていることもどうなのか判断がつかないところがあります。いつも間違っているのではと思いながらもそうだろうと思うものを選んで過ごしています。

ここ1年病院に行くのが億劫で薬を切らして数日飲まなかった日こそありますが病院を変えてから今に至るまでのこの半年は薬を絶やしたことがないので薬がないときの本来の自分がわからないことへの不安はあります。きっと眠れないでしょうし今ですらある小さな恐怖は大きなものになると思います。薬との付き合いはきっと死ぬまで続くんだろうと思っています。それでも不安と恐怖に苛まれながらも頑張ろうと思える小さい気持ちがあるのです。私はその気持ちがなにかで消えてしまわないように邁進していきたいと思っています。まだ時間はかかりますが1年前の私が失っていたものを少しずつ取り戻しつつあります。私の中ではそうやって1年の変化はありましたが結局私が見えているのは自分の中と部屋の中ぐらいで世間には置いていかれています。

 

今日キッチンでお皿を洗いながらふと大人ってなんだろうなあと思っていました。すぐに一人暮らしをして扶養じゃなくなればそれはもう大人じゃないのか?それとも子供を授かって育て始めたら?などと思いました。その後またすぐに子供を生む精神的に成熟していない大人を想像してそれだけではないなと思いじゃあ金銭面で負担をかけなくなったら?と思いその後自分はそこに該当しないなあと我に返るような冷めた感覚になりました。

1度社会に出たとはいえ金銭面ももちろんですが精神的にもまだまだ自立もしきれていないと思います。親の声を聞けば涙をボロボロ流します。私は家族があるがゆえに生きる道をえらびました。なので私はまだ子供のままです。それも哀れで貧弱で守られないと生きていけない弱々しい子供です。

 

私は明日も明後日もきっと当たり前のように時間を消費していくと思います。世間に置いていかれても、社会的に見たらど底辺のような立場でも私は確かに今生活をしています。親を安心させることはきっとできないと思いますがいつかなにか1つ、一瞬でもいいので自慢できるような何かを掴み取りたいです。そうして親によかったねって言ってもらいたいです。そのときも子供のままかもしれませんがその時はきっと大人っぽくなってるはずですからそんな自分を誇って私もよかったって言いたいです。

今日色々と失ったのに色々得ようと思うなんてなんだか矛盾してますよね。でも今そう思ったので残しておこうと思います。この日々が懐かしいと思える日が来るといいなと思います。おやすみなさい。