@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

帰還

実家から帰ってきました。現実に引き戻された感覚です。夢うつつな日々も終わり、自分でやらないといけないことが山積みでどうしても逃げたかったのですが受け止めないと生きていけないのも事実だったので帰ってきました。

最後に弟に会ってから帰るか考えましたがやめました。向こうは気を使っているんでしょうがこちらとしては合わせる顔が、言う言葉がないので今日は早起きをしてお母さんと少し喋ってお母さんがパートに行くのを見送ったことで最後に一人で外に出る感覚が薄くなってなんだか少し安心しました。その際リビングでウトウトしていたのですが3週間近くいたのであれこれ買ってもらったものとか食料などを渡されて大きめのキャリーバッグがいっぱいになりました。いつも使っている小さめのキャリーバッグで帰ろうとしたのですが次の機会ですね。メールをしたらまたいつでも帰っておいでと言ってくれました。なんだかそれだけで涙が出そうになりますね。

洗濯掃除ゴミ捨て、全部投げ捨てて帰ったせいで家についた瞬間やることしかなくて動ける今のうちにやらないとと思いながら書類の整理もしました。そうすると自立支援医療費についての紙が出てきてこれが教えてもらったやつだ…!と点と点がつながったような感覚になりました。幸い大事だと思うものはがさつながら一つの場所に積み重ねていたので領収書などのものはほぼほぼ揃っていました。こういうのは再発行が効かないのでちゃんとしていてよかったと安心しています。

 

昨日、お母さんと色々話しました。次に帰れるのはいつだとかなにをしなきゃいけないだとか。どう転んでも働かなきゃいけないのは確かだよと言われました。それがどういう形になるのかは私にもわかりません。ただ、受けられる制度は大いに受けようと思っています。それだけ長い間強い薬を飲んで何枚も診断書を出してもらっているのできっと通るだろうと信じて各場所に相談しに行こうと思います。また改めて多くの知識を求めるかもしれません。その時はよろしくおねがいします。

最近は情緒不安定なのか勝手に涙が出てくることが増えました。今まで溜め込んできたものを押し流すようにポロポロ涙が出てきて帰りのバスの中でも涙が出てきてなんでだ?という感じです。明日は早起きして動いて最終的には病院にいくつもりなのですが手のしびれとかめまいは前ほどじゃないのですがまだあるのでそのことも報告しようと思っています。

書類整理をしていたとき前に書き直した遺書の類が出てきました。ここ半年でまた色々変わりましたので改めて書き直そうと思います。いざ書き直すとなると根気がいりますが本当に何かあったとき、言葉があるとないとでは大いに違うのでこれは一つの安定剤でもあります。自分が死んだときどうやってそれを周りに伝えていけばいいのか。それも今模索中です。少し手を伸ばせば死に手をかけられると思って日々生きています。来月には死んでいるんじゃないか、来年はいないんじゃないか。常にそういうことを考えています。

それでもなんだかんだ生きています。それに「命さえあればどうにでもなる」昨日お母さんに言われました。他者に言われるそれとは重みと意味が大いに異なってきます。お母さんに言われたからには、先日のようにお父さんに許されたからには、やってやらなきゃいけないんだなと痛感させられております。あり方に高望みなどしません。物に対する贅沢も結構です。もう歩くべきレールからは落ちてしまいました。なのでただただ直向きに不器用らしく、送り出された以上もう少しやらなければならないと思います。それがどういう形になろうと出来ることすら手放すようなことだけはしないで、何も私の手じゃどうにもできなくなってある意味の満足感を十分に得たときに初めて終わりを選ぼうと思います。

それまでは足掻きます。1年でとうとう落ちるところまで落ちました。なので笑われても何も思いません。そういう姿なのですから。ただ、近くにいてくれるあなたは優しく見守っていてくれたらなと思います。這い上がれるかはわかりません。きっと今は小さな段差で躓いてしまうぐらい貧弱ですから。ケアをしっかりして、私なりの生き方をもう少し模索しようと思います。それからでも遅くないことを親は教えてくれました。

母の日なのに至れり尽くせりで本当にどうしようもないですね。それでもいいと言ってくれたお母さんに感謝しないといけませんね。次帰れるのはいつなんでしょう。それが見えないのがとても恐ろしいのですがおそらく退職以降になると思います。その時の私はどうなっているんでしょう。少しでも私にとって楽な環境を作るべく、頑張りたいと思います。明日から大忙しです。それでは。

 

追記

TLを見ていると「社会に出て1年未満で精神イカれて休職してるやついるけどこんな社会不適合者を選んだ人事にも問題があるんじゃないか?それで慰めてもらって悦に浸ってるしさっさと死んだほうが社会のためだろ」というpostを見ました。ええそのとおりだと思います。ただ、私は、少なくとも自分では社会不適合者が社会に出たのではなく社会に出て社会不適合者になってしまったと、そこは甘んじた解釈をしたいなと思っています。

まあ、そういうふうに見られても仕方ないですよね。仕方ないですが会話もしたことがない人でしたしそもそも私に向けたものでもないのかもしれませんがそういう目もあるんだと思いました。それが普通だと思います。だから私はいらない、死んじゃえと思ったりもしてたので至って正常だと思います。それでも、死にたくても。イカれた私でも。私に生きてという人が居るのです。私がいないといけないという人が居るのです。生きなさいと命じる人が居るのです。信じがたいことに私がいたから救われた人も居るのです。だから、もう少しだけこの世界にいます。あなたに迷惑はかけません。だからどうか、罵声を浴びせるくらいなら目を背けて。

Twitterは汚れた理想郷。だから私は縁を切りました。弱い私でごめんなさい。現実を受け止めきれなくてごめんなさい。それでも私は必要としてくれる人がいるならば、その人に報いるためにもがんばります。それを糧に生きています。多くの人に蔑まれようとそういう人がいるならば私は頑張らなくてはいけないと思っているのです。