@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

夢現

横になりながら窓を見ていたらいつか見た時よりも雲の流れが速く感じました。そうやってやってきては窓枠から離れていく雲を追いかけているうちに空の色は変わっていって気づいたら暗くなって、そうやって1日が終わっていくのがケーキの最初の一口を味わっているような、贅沢に浸っている気分でした。でもそれは最初の一口じゃなくて最後に残しておいたケーキの上にあった苺を味わっているの間違いだったなあと今は思います。

 

札幌で法事を終えた後実家に帰ってきました。久々に着た喪服はダボついていて、ポケットには紙に包まれた10円玉が入っていました。もうそんなに前になるんだなといつかの葬式を思い出しながら急いで荷物をまとめてすごく早く来た迎えの車に乗り込みました。

法事は非常に疲れを覚えるものでした。なにも合掌をしてお経を聴くことがつかれたわけではありません。お焼香をあげるのも慣れています。ただ、数年ぶりに見る叔父さんの家族と異星人の奥さんに驚愕しただけです。いとこたちは一周忌に来なかったのになぜ三周忌には来ているのか。どうして目も合わせず下を向いているのか。訳が分からずひきつった笑みを終始浮かべていました。叔父さんの奥さん、一応叔母ということになるのですがそう括りたくないような異質なお方はずけずけと会話を切り開きます。その切り口がどうも下手というか、独特といえばいいのか…私には理解ができない言語を話しているのでは?と思うぐらいストレスフルになるものでした。

親族と思われたくないぐらい無礼な振る舞いに何を考えてるかわからない笑み、仮にも亡くなった方の前、もう少し考えられないのか?という感じなのですがいかんせんいつだかにお坊さんに「お義父さんは成仏したんでしょうか?」とお聞きするような方ですのでいろいろ察しがつくかと思います。いとこたちも法事にこないこともあって簡単な礼拝すらも戸惑っており最年少の弟ですらできているのになあと思いながら過ごしていました。無宗教無神論が蔓延る昨今の日本ですがここまで腐っているというか、場を考えられないのはその風潮に限ったことではないだろうなと私は思います。なので疲れました。お母さんとお手洗いであの人たちが親戚なんだよ、あの家族と線でつながっているんだよと失笑しました。

味がするんだかしないんだかわからないお昼をいただいた後まっすぐ実家に戻り、ゆっくり過ごして気づいたらもう木曜日です。日曜にはまた戻る予定でいます。そのカウントダウンが恐ろしくて仕方ないです。帰りの車で今年中にどうにか内定をもらうのが目標だと親にも宣言しました。これからのプランを伝えてそうするしかないよね、と納得してもらいました。そこから特に咎められるわけでもなく何かを聞くわけでもなくただ日常を日常のようにふるまってくれています。

私も実家に帰ってきたということが特別なことという感覚が薄く、少し歩いた場所に来たかのような落ち着き、安心感、日常を感じています。時折強迫的に恐ろしいことを巡らせることもありますが幸い、抗不安剤が強いものになったのでのたうち回るような事態にはなっていません。

 

ただ実家に帰ってきて珍しいというか、十数年ぶりなのではということがあってそれはお母さんが手作りのデザートを作っているんです。大昔、子供ゆえにプリンのカラメルのほろ苦さが受け付けなかったがゆえにおいしくないとお母さんの作ってくれたプリンをあまり食べなかったことがあります。わずかながらに覚えています。お母さんはそれ以来何か甘いものを作ってくれるということがなくなりました。そういうことがあったからやめたの。とこぼしていたのも知っているので承知していたのですがそのようなことがあり不思議に思いながらも大量に作ってくれたそれらをおいしいと言いながら食べると嬉しそうに微笑んでいました。今度はあれも作ろうか、と嬉しそうに言うものだからああよかったのかなと思いつつお金が本当にないと言っていたので苦肉の策だったのかなと思いつつ最近タイミング悪くお金を貸してくれないかといったことを思い出し申し訳なくなりました。

親戚が高齢になって喪服を着る頻度が年に1度程度だったのが2度3度と増えてきているように思います。それに伴ってお香典も必要になります。そういう度重なるイレギュラーな出費ゆえに金欠だそうです。それはどうしようもなく、予測も立てられないので早くあてにしなくて済むよう落ち着きたいところです。

 

毎日が瞬く間に過ぎて行って、やるべきことも置いてけぼりでただ時間を貪っています。それは札幌で一人でいても変わらなかったと思います。なのでこうやって戻ってきておいしいご飯をいただいて温かいお風呂に入らせてもらってきれいになった布団に寝かせてもらえている今が、今までにいくらでもあったその1日があまりに贅沢で甘味のような時だったんだと今、ひしと感じています。

ただこれは本来あり得なかった時間、得られなかったであろう日常、社会から切り離されたちいさなかけら。かつて入社する直前にも思った考えです。この後戻れば次いつ、どれぐらい戻ってこれるかわからない。お母さんのおやすみなさいをあと何回聞けるのか、お父さんのお酒を飲む姿を何回見れるのか、弟の新しく買った漫画の話はあとどれだけ聞けるのか。逆算すれば案外少ないものなのです。仕事をすれば疲労する。帰省する体力や時間はいつやってくるのか。あわただしくやってきたと思ったら嵐のように去っていく。きっとそれが限度になると思います。

ぼーっと外を眺めていられるような時間、誰もいない時間に座椅子に座った時に後ろから流れてくる風を、キッチンの窓の先に見える裏の家の木々がまぶしく輝いているのを感じながら涼しさを感じながらお母さんの用意してくれたご飯を食べたりソファーに座りながら暑くなるぐらい焚かれた灯油ストーブの温かさを感じながらアイスを食べたりするあの一人きりの時間をちょっと前ならこれでもかというほど味わっていました。ただそれはもうたぶん叶わない。それは異質であり大学生までで終わるべき事項だからです。まだどこかでそれを当たり前と思う自分がいます。きっと叶うと思っている自分がいます。家族4人がそろう時間は今もすり減っています。お互いがお互いをいがみ合う歪な家族構成に頭が痛くなりますがそれでもその時間を私はいとおしく思います。可能な限り味わいたいと思います。

一方で安心させないといけないなと、自立しないといけないなとも思っています。引き上げずに一人暮らしを続けている理由でもあります。きっと引き上げてしまったほうが楽なのかもしれませんがきっとそれは破滅につながると頭のどこかで分かっているのです。同じ”ない未来”だとしてもそれをしてしまえば選択肢を自ずと消してしまう。

もう少し私は貪欲に私を貫いてもいいんじゃないか、家族を考え、考えさせられ生きてきて同じ大地から離れないことを流れをくみ取り、選びました。それでも自分の生を、考えてもみなかったそれを、今更ながら探査してもいいんじゃないかとそう思ったりもするのです。

なので寂しい、このぬるま湯にもっと浸かっていたい気持ちと自己の人生を歩みたい・そうしなくてはいけないと思っている自分とで毎秒毎秒矛盾をぶつかり合わせています。そうやって眺めるリビングにかつてを思いながら、これからを感じながら何とも言えない気持ちになるのです。

 

なんというか、自分というものを鑑みずに生きすぎたような気がします。それが私の性だと思ってはいるのですが他人に何かをすることによって他人から向けられる矢印で輪郭をどうにか保っているような人生を送ってきました。今もそうです。自分を大切に思えないのです。自分は適当でいいと思ってしまう。だから大切な思考が自分に向かない。案外周りの人間は自分本位に生きているものなのにそれがどうも難しい私は今日も生きるのが下手でどうにかしたいと模索しています。

 

一週間ぶりなのでいろいろ書きすぎました。また改めて書きたいと思います。