@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

憔悴

気持ちにノイズがかかっているのはわかっていました。それでもやることは山程あって気にしないことにしました。それでもノイズは大きくなって大洪水を起こしていました。それでも目から涙は出てこなくて、憎悪のような液体が体中を巡って穢れていく気がしました。そういう時間を過ごしていました。

最近はやるべきことを山積みにしていましたが少しずつ消化しています。一つ一つは簡単なことなんです。それでもどうしてもできないときとか風邪を引いたりとか、タイミングがどうも合わなくて急ぐべきことなのに気づいたら雪が溶け出してもおかしくない時期になってきてしまいました。

 

体調面は比較的よく、先日の診察では今までで一番調子がいいよ、頑張ったね。と先生に言われました。薬自体は増えましたが会った瞬間から元気そうなのが伝わるよと言われたのできっと何かが作用しているんだと思いました。診察までの時間も早く待合室にいる時間も短く済んだので良かったです。なのでそのまま区役所に赴いて様々な手続きをしました。

生きるための手続き。惨めで屈辱的な説明。でもそれは生きるために、食いつなぐために必要なものでした。申請書をもらうまで時間がかかるかも、と言われましたが私の場合はスムーズにうけとり、その場で書き留めることができました。説明も淡々とすすみ、必要なことは大方終わらせました。いくつか更新が必要なものがあったのでそれも済ませて帰ってお母さんに電話をしました。

こういうことだからお父さんと食い違いないようにしといてねというふうに伝えるとよかったね申請書だしてくれてね、と喜んでいました。うけれるものはうけて生きなさい。生きていればどうにかなるから。そう言われました。そうかあと思いながら少し談笑をして通話を終えました。

 

その後は疲労なのかふとした拍子にメンタルの不調が現れ、ずっとベッドで座っていました。気づいたら日が沈んでいました。喉が乾いても動きたくありませんでした。何もかもが怖くて、気持ちが空っぽでした。待ちわびるそれが来るまでが恐怖で仕方ありませんでした。私が私という気持ちを持ってしまったから苦しめてしまった。私が私だからまたいらない傷をつくってしまった。私はバカで、おろかで、消えちゃったほうがいい。ずっと脳内でそれが反響しつづけて多めに薬を用意してアルコールで流してみても効かなくて、むしろ意識がふわっとして自分の罪深さについて更に問い詰める羽目になりました。

久々でした。自分を自分で突き刺すような思考。理屈理論が介入を許さない要塞。その時ふとお母さんの声を思い出して涙が出ました。そこから待っていたかのように涙と鼻水がたれながれてきてわけがわからなくなりました。

友達はずっと励ましてくれました。普段と明らかに違ったのでしょう。大丈夫だよ、大丈夫だからねと言ってくれました。私は愚直故に惨めな目に合うときはこうなってしまうんだなあと再認識していました。

気づいたら時計は午前1時でした。ふと画面を見るとある人から連絡が入っていました。最初は怖かったのですが電話を提案して電話をしました。

その人は優しかったです。私が泣きじゃくりながら普段薬で隠している醜く腐りきった私の中身を晒してごめんなさい、ごめんなさいと言い続けました。悪くないよ、何も悪くないよと言われました。いいえ、私が悪いんです。私が背負い続ける罪というか、見える世界に突きつけられた刑罰のような、そういうものなのです。私はすべてが怖くて、それを見ないふりをして笑って生きてきました。笑えないときも笑って、笑えるかのように振る舞ってきました。そうあることで普通だと思いこんでいるのです。私は常に思考を巡らしています。人がどれぐらい考えているかはしりませんが私は私のキャパシティを超えたところにまで気持ちが及んでいることの自覚がありました。それに疲れ、見ないふりをしていても罪悪感を覚えてしまい、手を貸せば被害者になることもあり、どうすればいいのかわからなくなってしまいます。

 

常に背伸びして生きてきました。そうしないと褒められないと思っていました。でもそうしても誰も褒めてはくれませんでした。私は頑張ったね、すごいねって言ってほしかっただけだったのになあと思い出しました。この年になって何言ってるんだって感じですよね。

そういうわけのわからないことをうん、うん、と聞いてくれました。愚直に生きることしかできない私のわたしなりの最善は私のエゴだったんだといったらそれは違うよと言われて、みんなが私のことを優しい人だと言っていることを知りました。

誰かに何かをしてあげた記憶というのはほとんどなく、きっと無意識下の行動だと思います。さりげない振る舞いからなのかもしれません。とにかく私はそのコミュニティのなかに存在して、個を保持しているんだということを言われました。

強い言葉は虚勢です。弱い私を見せたくない、臆病な私の悲鳴です。もちろん本心で言うこともありますが周りには幸せであってほしいですから。自分を思ってくれている人であればなおのことです。そのために私はありたいと常々思ってはいますがうかつに手を出すとそれはお節介になってしまうんだと言うこともわかっておりああ…と手を引っ込めてしまいます。だから強い言葉を言うことで弾圧することしかできない。馬鹿な私にはそれしかできないのです。

その人は私の全てを受け入れてくれました。何一つ否定はされませんでした。こんなにすごい人がなんで私のそばにいるのか、未だにわかりません。それでも私はそうやって心が落ちるぐらい感情に齟齬があるとわかったときのショックが大きい状態になっているんだと気づくことができました。

パニックになってこれから先のことを考えて頭が混乱していました。できることもすくないです。それでもゆっくりやっていけばいいからと言ってくれました。4時間は泣いていました。こんなに泣いたのはいつぶりでしょう。

一瞬でもろくでもない結論を出そうとした自分を殺しました。どうしようもないと諦めていた自分を刺しました。他人に希望を持たなかった自分を殴りました。

私の病のほんの一部、醜い中身の死臭。これが私です。

そんな私の世界にも良心が残っているんだと、一縷の望みを持ちながら今日も生きようと思っています。