@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

胸元

他人にすれば強制わいせつ。そのようなことを弟にされました。詳しくは言いたくないので言いませんが普通にいつもどおり遊んでいたらそういうことをされかけました。

実は弟は軽度の知的障害者をもち、脳の発達が普通の人の半分くらいの早さで成長するのと自閉症を持っているため今の脳年齢はだいたい10歳くらいです。そのためTPOがわからない部分があります。そこを踏まえて我慢してきたことも多くありますしそれ故に親しい関係であれたのかもしれません。しかし軽度というだけあり会話もできます。仕事もしています。いつまでも5歳児というわけでもないのでそういう知識がついてくることもわかっていました。それでも帰ってくればいつも遊んでくれる遊び相手。話し相手。向こうからすればその延長線上、いや延長もせず同じ範囲だったのかもしれません。それでも私は深く傷つきました。

普段一切喧嘩をしない私達なので私がふざけるな!といって部屋を出てその異様さに気づいた親に何?と言われたので言いたくありませんでしたが渋々報告をしました。お父さんがそれはだめだわと珍しく座椅子から立ち、弟の部屋に向かいました。

 

お前自分が何やったかわかってんのか!他の人にやったら逮捕だぞ、今すぐ警察呼んでやる!

やめて!

そういうことをお前はしたんだぞ!あいつは悲しんでる!

ごめんなさいごめんなさい!もうしません!

もうしませんじゃねえんだよ!やってしまったことは取り消せねえんだよ!次はねえからな。次こんなことがあったら俺はお前を刺し殺す。確かに言ったからな。

はい、ごめんなさい

 

全部丸聞こえでした。お父さんは弟が嫌いです。だから余計苛立ちが感じられました。その後弟が私の前に土下座しに来ましたが来るな!しゃべるな!戻れ!来るな!と泣きそうになるのを抑えて追い払いました。

私はその後逃げるようにお風呂に入ってわけが分からなくなりながら泣きました。惨めな思いに押しつぶされそうになりながら泣きました。泣きながらシャワーを浴びて湯船に浸かっていたらリビングで親が話し合ってる声がかすかに聞こえてきました。あいつに教えなくちゃいけないだのあいつは悪くないだのあいつが怒鳴るってのは今までなかっただのあのあとああしてただのいろいろ聞こえました。

お風呂から上がったら絶対に言わなきゃ。今日で全て終わらせなくちゃ。そう思いました。そうしないと唯一の居場所のお家ですら不安を覚えることになるから。

お風呂から上がって髪も乾かさずスマホをソファに投げてから弟の部屋に行き話がある。と言いました。弟はすべてを察しはい。はい。と正座をしていました。

 

起きてしまったことは仕方ない。私はお前を許さない。許されたいなら今後一切この話題を出すな。私がいようといなかろうとこの話題を出すな。絶対に出すな。話題に出したら次はないからな。

はい、わかりました。はい。と言っていました。顔を見ないでそのまま部屋を出てリビングに戻りました。

リビングに戻ったらお父さんが優しい声でスッキリしたか?と言ってきました。スッキリしない。ホントならもっともっと言いたい。でもあいつはまだわかってないことも多いしこれからも向き合っていかきゃいけない人だから今日で全部終わらせたかった。というと我慢はしなくていい、泣きたいときに泣けばいい。今回はお前に悪いところは何一つはない。被害者。あいつが悪いんだから深く考えるな。大丈夫、大丈夫だよ。でもこのことは今日でおしまい。今日で終わらせような。とお父さんに言われました。普段こういうことには一切首は出さない人だったので驚きました。私はうん、うん、と泣いていました。お母さんにもちゃんと言って偉いね、頑張ったね。と言われて余計涙がでてわーってなってバスタオルがびちゃびちゃになりました。

そうするとちょっとこい、とお父さんに言われて近づくと強く強く抱きしめられました。好きなだけ泣け、なんかあったら俺に言え。大丈夫だからな。初めて許された気がしました。嗚咽混じりに泣いていました。乾かしてない頭を撫でられて息苦しくなるくらい強く抱きしめられてお父さんの気持ちを感じました。またいつでも抱っこしてやっからな、大丈夫だからなと言って笑ってくれました。こんなことをされたのはお父さんっこだった4歳くらいまでから一度もなく、24にもなってという感じですが私の小さな夢の一つでした。お父さんとお母さんに認められる、許される。それが私の唯一の小さくて遠い夢でした。

高校のとき、何かで認められたくて勉強を一生懸命やって学年上位5位に入った科目のある成績を見せたらそんなことより社会で活きることをやれと言われて号泣したことを思い出します。学生は勉強をするのが本分ですよね?意味がわからなくて号泣をしたことを覚えています。高校のときに泣いたのはその時ぐらいです。お母さん経由でその後お金をもらいましたがお金が欲しくてやったんじゃないんです。頑張ったな、というその一言が欲しかったんです。不器用で見栄っ張りなお父さんにそれが難しいことはわかっていました。わかっていたからそれが夢でした。

お母さんは常日頃良くしてくれていますが小さい子をなでてあげるようなそんなような褒め方しかされたことがありませんでした。泣いたら泣き虫だと笑われていたこともありました。だから泣かない子になりました。だからいつしか認められるような日を夢に見ていました。そういう意味では親と一枚壁があったのかもしれません。

先日の懺悔といい今回のこれと言いそれがなくなった気がしました。たしかに自立はできていないし困らせてばかりで認められることはしていませんが。これからもずっと心配をかけるでしょうが。今回の件はとてもとても許したくないことなのですが親と何か分かち合えた気がしました。この話は今日でおしまい。だから今日日記を残します。それ以降は普通の日常に戻しました。戻りました。そういうことにしました。弟はずっと怯えながら私の様子を伺っていますけどね。

あんなに見栄っ張りでかっこつけたがりなお父さんがそうしてくれたのは娘を愛しているからなのか、同じ鬱だから理解できたのか、わかりませんがお父さんの温かい胸元が離れた今も忘れられません。それだけで生きていた価値があるなと思いました。あのときに死ななくてよかったなと思います。そういうことがあるから生きることにしがみついてしまうんですよね。だから死ぬのがもったいなくなってしまう。

今までで一番惨めな思いをして今までで一番を温かいものを得ました。苦しいことは連鎖しますね。今月に入って人生のなかでも秀でて悪いことが起きているように感じます。なんなんでしょう。いいことも連鎖してほしいですね。それでは。