@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

物差し

平穏な1日を過ごしていました。低気圧からか少し頭は痛かったですがあとは数日続いているめまいとしびれを毎秒のように感じながらゆっくりゆったり過ごしていました。

その中で久々に鈍器で頭を殴られる感覚を覚えました。怒り、殺意に似た感情を覚えました。私はこの1年で多くを考えました。様々なことを思考して、様々な結論を考え、その先を見て、そこから自己を見つめ、死を考え、嫌ながらも生を選び、焦点が合わないまま立ち尽くす毎日を繰り返してきました。焦燥感、強迫観念、絶望感。常に真っ黒な壁を間近で眺めているような感覚。具体的な自殺のプランを考えたこともあります。顕著だったのは6月末と12月頃ですかね、遺書も書き換えました。1枚書きかけのものがありますが。体はボロボロで理性でどうにかこうにかしているような感じです。今までなんでもかんでも理性でねじ伏せてきたので理屈で通せることは既知のものです。今更理屈であーだこーだいわれても耳障りでしかありません。

私はそういう段階にいます。気持ちとしては臨界点突破していると思います。よくある自分を許してあげなよとか死にたいとか言うなとか生きていればなんとかなるだとかそういう根拠のない言葉は腐るほど聞きました。いっぱいいっぱい色んな所で色んな場所で。そんな言葉が欲しくて言っているんじゃない、そんな事はもうわかっている、今聴きたいことはそれじゃない…そういうことが何十回とありました。同情されたくて喚いているんじゃない。そういいたいんです。私が欲しがっているのは情報であって慰めじゃない!そんなものは反吐が出る!もうやめてくれ!そうして髪をぐしゃぐしゃにしてわけも分からずうずくまって涙を流していました。

休職してすぐの頃私の事情を知った人が遊びに誘ってくれたり声をかけてくれたりいろいろしてくれました。いつもと変わらない様子で。何も触れてはきませんでした。ただ去り際に無理しすぎないでね。また遊ぼうというくらいでしょうか。その後だんだん誘いにくくなってきたんでしょう。私も誘うような人間ではなく、加えその気力もなく一人、一人と私のもとから人が離れていくのを感じました。それでも一部の人達は私の病気のことを気にせずに普通に接してくれます、"普通の人"に戻れたような気になれて嬉しかったです。元から人望は厚くありませんし今だけでも十分幸せだ。みんな忙しいんだからと割り切って過ごしていました。

また、一部の中の良いツイッターの人たちもあまり接してくることがなくなっていたのですが今日先のことがあったからかついに今日私に向けて口を開きました。「大変だよね~って誰にでも言えるからそうじゃなくどういう制度があるのかとかどう生きれば今よりましになるのかしか聞いてないしそんなんだったら私だってとっくの昔にちゃんと休みなねって言ってる、何のためにだんまり決め込んだと思ってんだよ」というものでした。そう言うと「自分も何も有益な情報は持っていない、だけど事情は知ってるしこいつの性格だから変に慰めるのも違う。だから日常を振る舞うしかできなかった。本当は心配で仕方ない」という声だったり「いっぱいいっぱいになってるときに言葉をかけられても余計苦しくなるからね」と完全に私を考えてあえて触れないでいてくれた人たちの言葉が雪崩のように溢れてきて驚きました。これが正しい、嬉しいありかた。周りが思っていたより自分を理解してくれてることにも感動しました。

一人で過ごす時間も増えてきました。それでも何かあれば頼れる場所、慰めてくれる場所、自分を自分としてみてくれる場所が確かにあります。実家や病院、専務や就労支援センターというのはそういう場所だと思います。自分のことをよく理解してくれている場所は確かにあるのでこれ以上は望んでいません。ここらでも得られない情報を、明日を生きるために必要なことを私は最近多くの人に求めて、前の日記や先の通りアクションがいくつかありなるほどなるほどと思いながら理解を示していました。

そんな中で久々に胡散臭い同情を浴びせられ傷口に絆創膏を貼ったつもりかもしれないけれど硫酸を丁寧に塗りたくられたようなそんな気持ちになることがあって。あまりに厳しく、耐えきれず、安定剤を飲み一息しましたがその鈍器で殴られたような絶望感はまだありました。その接し方があまりにも寒気を感じるようなパーソナルスペースに土足で踏み込んできて知ったかで触れてくるようなそんな感覚に襲われ、GWで回復してきていた気持ちはどん底に落ちました。そうじゃない、そうじゃないと。まあいいこともあったのであまり悪いことを考えないようにしたいのですがそれが難しいから今の自分がいたりするので難しいです。ベッドの横においてある薬の山を見てこんなんじゃ社会復帰なんて無理だよと思ってしまいます。入社したての頃、あの頃はあの頃で悩みはあったんでしょうがポジティブでいられました。私はやれるんだと思っていました。あの無限のエネルギー、規則正しく寝て起きてができたあの頃。あれに戻りたいんです。でもそれがあまりに遠い。

 

人によって食べ物の好き嫌いがあるように人の苦しみを感じる場所、度合いというのは千差万別、同じ物差しを持っている人は世界に誰もいません。なので私がここにどれだけ書こうとあなたは少し扱い方がわかったり共感を覚えることもあるでしょうがなんでこれぐらいで躓くんだろう?と思うこともあると思います。知ってから物を申せというわけでもありません。私もあなたの苦しみを理屈で理解できたとしても共感しきれないと思います。人間は常に一人だから仕方ないのです。しかしながら八方美人になり多くと共にあることを望む人、よりそい、優しい言葉を掛け合い傷をなめ合うことが生きやすいという人もいると思います。それもまた千差万別なんですね。でも、少なくとも私にはそれが合わなかった。そういう居場所はすでに他にある。私は私の知りえない知識を与えてくれると思っていたところから答えのない優しい言葉を振りかけられたが故に拒絶反応がでた。求めていたアンサーを得られなかった。それだけのことです。

とってもとっても疲れました。やたらと咳が出るんですが風邪でも引いたんですかね。今日はそんな感じです。人とのコミュニケーション。当たり障りない社交辞令じみたものは簡単でもそこを超えると難しい領域です。ましてや心なんてものはプライベートのコアのようなものですから余計難しいのです。いきなり土足で入り込んで見えるものなどほとんどないんじゃないんでしょうか。より真摯に向き合おうとしてくれているなら尚更。それでは。