@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

2018年7月27日の話

昨日は日記をつけようとしたのですが友人と長電話をしてしまいそのままおざなりになってしまいました。何人かに言われてああほんとにみてる人居るんだと実感しました。ありがとうございます。今日は昨日のことを含めつつ主に休職に至った自分を見つめ直す内容になるので多分長くなると思います。普段の倍ぐらいは書けそうです。

今日は久々に青空が見えて直射日光が暑く感じましたが風は冷たかったので過ごしやすかったです。昨日はずっと家にいましたが今日はお母さんの買い忘れたものを買ってきたりしたので少し外に出ました。あまり外に出ないのもあって窓ごしの切り取られたような風景しかみてなかったので頭上の雲ひとつない空が印象的でした。地元は本当に田舎なので平日の昼過ぎに歩いているとあいつこの時間に何をしてるんだ、みたいな目を向けてくる人も一定数います。まあすれ違うのは99%老人ですしその視線は心地よくはありませんが同時に正しいものだとも思いました。

 

買い物を済ませてからは家でお母さんといろいろな話をしました。眠い、だるいと言っていたお母さんですがなんだかんだテレビを見たり会話をしました。私たちの時間の感覚、どうして歳を重ねると1年があっという間に感じてしまうのかという話になって最近日記にも書いた気がする話だなと思いつつ多くの経験があるがゆえに変化を恐れ保守的になり、同時に妥協を重ね続けた結果刺激を受けることに抵抗を感じるんだという結論になりました。その通りだと思いますしそう感じるたびに自分が過去の人間になっていくことを痛感しています。

そんな中なんだかんだ言うのをためらっていた仕事の話もしました。昨日の夜、友人にも話していたこともあって私の中ではホットトピックだったので気づけばそういう話に持っていっている自分がいました。

いつかにも書いたとおりこのご時世転職は当たり前、そうは思っていても自分がそうする可能性が生まれる日が来るとは思っていなかったもので、それ故にどうしたら良いかもわからなかったです。

そして人に弱みを見せる意味合いが強く感じてしまうため私は滅多に人に愚痴をこぼすことができません。それ故に私の周りで仕事のことで悩んでいることを詳しく知っている人は殆どいません。そしてなんだかんだ日記をつけていてもそういうことを表立って書くのは気が引けます。昨日話をした友人は私にとって全く別の視点を持つ信頼できる人物の一人なのでその会話はとても貴重で、大事なものでした。

その友人が言うには将来を鑑みないのであればフリーターでも全然やっていけると、そもそも週5ないし週6の通勤が貴方には合っていないように感じると、そう言っていました。たしかにそれも一理あると思いました。

たった3ヶ月ですが実際社会に出て会社に属したときに働くことはできてもその残りの2日ないし1日の休日は身体を休める、次の週に備えるための文字通りの休日でしかなくその人生に充実の二文字は欠片もないと感じます。燃費の悪く壊れやすい私は何かをする元気が週末には残っていなくて、かと言ってその組織に迷惑はかけられない。私が1週間本調子で行くためには無為な時間が必要で空虚な日々になっていると実感しています。そのメインである仕事ですらわけもわからないまま機嫌を伺って仕事が減っていって他人行儀になられて一番頼れるはずの上司や先輩に距離を取られて居場所を無くしているに等しい状態を痛感して私は一体何なんだと訳がわからなくなっていました。

仕事か休日どちらかでも充実させている人は生きるのが向いているんだなと尊敬します。趣味もなければ会社にも馴染めない私にはたったそれだけすらも今は難しく感じます。

なので一時的にでもフリーターという選択もありなのかなと考えました。それでもやはり採用していただいた会社に未練がないわけではなく、むしろ頑張ろうという前向きな休職でした。それは仕事がままならなくなっていく中でも良くしてもらっていた人も多くいることを実感していたからです。そしてそれに応えたいという気持ちが思考がままならない状態でも確かにあったからその気持ちをそのまま吐露して休職しました。それでも今思うと会社で頼れる人はいませんでしたし、それゆえに壊れるまで溜め込んでしまいまったんだなとも思います。

また、オフィスで泣いてしまったあと「自分が弱いことを受け入れろ」「戻ってきたときには今まで以上の厳しさが待っていると思っておけ」「そんなふうに泣かれたって、私だって泣きたい」「教え方があわないと思うならやめることも考えたほうが良い」などと単純作業すらおぼつかなくなってしまった自分に様々なトゲのある言葉を誰でもない上司や先輩に言われたのも事実でどうしたら良いのかと、戻ったところで迷惑をかけるだけかけていなくなるのだったら今やめたほうが良いのではとも思っています。そうやって毎日考えます。そのたびにオーバーヒートして考えることを放棄します。何が正しかったのか、正直今もわかりません。なんでこんなに生きるのが下手なんだろうなあと思ってしまいます。

そんなことを親には話をしていなかったので今日話せてよかったです。誰かに決められる人生は違うと思いますがかといって完全に独立しきっているわけではない自覚が私にはあるので親の意見も必要だと思っていました。仮にここでやめることは親からみてどうなのか、私の今置かれている状況を聞いてどう思うか、1つの意見を聞きたかったのもそうですし、ありうる可能性をすべて話しておきたかったというのもあります。

上記のことだけじゃなくその時思い出せることをすべて話しました。もしかしたら地元に戻ってきたほうが効率的だろうから実家に帰ってくることになるかもしれない。それ以前にそもそも休職の流れでやめることになるかもしれない。それでも奨学金のことだってある。それでも私は耐えきれなくてそういう可能性があるんだと、両親に頼る哀れな娘になるかもしれないと、そう言いました。会社で言われた理不尽だと思ったこともいっぱい言いました。当本人の前では言えなかったこともいっぱい言いました。親は否定はしませんでした。折檻することもなくただただ理解を示してくれました。当時のお母さんの話もしてくれました。それは私の状況よりも遥かに厳しいものでした。それでも理解を示してくれたのはきっと就職活動で迷っている私も知っていたからなのかなとも思います。かつてやれることをやって後少しというところですべてが音を立てて崩れていくのを横で見ていたのは紛れもなく家族だったと思います。その先で見つけた場所で自分の子供が死にそうになっていたらきっとそうせざるを得ないんだろうなとも考えます。お母さんは最後にそうなったならしかたないからそれでもいいんじゃないの、とりあえず専務と話したら連絡しなさいと言ってくれました。いつかに実家に戻ってくるのはダメだよ、と言っていた気がしましたが今は許されるようです。それだけでも私にとってはありがたい話です。

 

正直自分が知らないうちに上司や先輩がトラウマになっている面があると思います。会いたくないという気持ちが非常に強いです。どういう顔をして彼らと向き合えば良いのかも今どうしているかもわかりません。もしかしたら合う教え方を考えてくれているのかもしれません。しかしやり方は変えないような言い方をしていた気がします。正直慌てふためいていましたし一つ一つのやり取りの処理にも手間取っていたので記憶が薄いです。もし仮に当本人らが変える気がなくても専務や部長など上の人が変えなさいといって変えるかもしれませんがそれは結局私が抱えていたものを誰かが抱えることになるのであまり効果的ではない気もします。

上司はわからないなりにも会話の端々から理解を示そうとしているのもわかってはいました。俺の周りにはそういう人間がいたことはないし俺もなったことがないから言ってくれないとわからないと言われました。そうは言うものの上司のやり方はどうも職人気質で姿で語るというか、すべてを口では伝えないような方法なので私も言われないとわからないですし、社会人になりたての私にとっては彼らにとっての常識であることもわからない、そもそもわからないものがわからない状態なので言葉にもできないで上司だけがどんどん先に行ってしまってという状態で答えも見せられないまま「お前は社会人として甘い」という言葉をぶつけられたこともありました。いくら学びの姿勢があっても行く方向を少しも指し示されていない私にとってはすべてが想定外で人の頭の中を覗けるような超能力者でもないので上司の望む私のあり方もわからずに結果お互いに乖離していったのだと思います。それを壊れる前にわかるように伝えられなかったのは私の落ち度だと思います。1度勇気を出して聞いたことはあったのですがなんとも曖昧な回答で私はそれ以上言及できなかったのもありますがやはりすべてはコミュニケーション不足に尽きると思います。

 

そんなことを含めてお母さんには色々と話していました。夕飯のときも少しそんな話になりました。新しい家に引っ越すかもしれないという話をしているときでした。お母さんはあんたの部屋も作らなきゃね、その頃には帰ってきてるかもしれないもんねと笑っていました。他にお父さんの居る会社に入れてもらったら?なんて冗談めかして話していましたが暗にお父さんにそういう可能性があるからねと伝えたんだと思います。お父さんも怒ることはありませんでした。むしろ普通に笑って会話をしていました。お父さんは私に甘いのでそうなったらそうなったで許してくれると思います。それに甘んじている自分はあまりに愚かだなと思いますがそんな話をしても私を私として認めてくれて、帰ってきても良いんだよと言ってくれる場所がある事実がどうしようもなく嬉しくてしかたなかったです。そこにいるだけで価値があるとでも言いたげに親は笑っていました。やけにその日の夕飯のときの雰囲気は私にしみて、家族ってそういうものなのかなと思いました。

 

休職直後、自分はひとりぼっちだと思っていました。誰も理解はしてくれないし居場所はどこにもないんだと。何を言っても言い訳だと言われるし結局だれも私を見ていないし話も聞いていないんだろうと。頭の中は真っ暗で社会に適合できない私という個体はどうなっても良いと思ってましたし強迫観念も相まって毎日自分が死んでしまう可能性を想像していました。何をするにも普段の十倍ぐらいの体力が必要で立ち上がることすら面倒でした。真っ直ぐ歩くことも難しくて常にふらついていました。周りにあるものすべてが怖くて仕方なくて、部屋から出るのが難しく思えて居たのですがそれでもどうにかいっぱい寝て、何も考えないで過ごしていたらやっと人間らしい生活ができるようになってきました。それでもどこか孤独を感じている自分が居て、模範的な人間にならなきゃと思っている自分がいました。いっちょ前に責任感とプライドはあるのでせめて第一子の自分は自立しなきゃという気持ちが暗に親の描く姿をなぞるように成長させて今もそれを引きずっているんだと思います。同時にそうでないと見放されると怯えている自分も居たと思います。

でも、この1ヶ月を鑑みるにそんなことはなかったらしいです。生きていてくれたらそれで良いとでも言いたげに優しく人は受け入れてくれました。それは家族だけじゃなく、周りの人達もです。私は何もしてあげられたことがないのに本当に信じられないぐらい色々と心配や励ましをしてくれました。少しだけ生きることに前向きになれましたし、生き方をわざわざ絞る必要はないんだと思えました。結果的に私がどうするかはわからないですが色々な可能性を見ることができましたし、十分に自分は恵まれているなと思いました。

 

文章が信じられないぐらい長くなってしまいました。正直少し考えればもっと出てくると思うのですが長すぎるのでやめます。とにかく今日はそんなことを考え、思い、得た日でした。今日は普段以上にスルスル文字に起こせて自分でも驚いているのですが休職中の自分において1番すべきことを今日は為せたのかなと思います。私個人としてはこれらは非常に難しい問題ですが残り1ヶ月と少しの間考えて納得できる答えを出せるように善処していきたいと思います。読んでくれてありがとうございます。明日からまたいつもどおりの日記を書きます。