@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

2018年7月8日の話

今日はたしか曇りか雨の予報だった気がするのですが昨日よりも雲の数が少なくとても心地よい1日でした。ベランダに出てみても部屋と大して変わらない気温でほぼ無風でした。そんな中ぼーっと過ごしていると隣の部屋の人がベランダに出ようとしていて目があったのを感じました。このことで何も考えてなさそうな哀れな人間が隣に住んでいることを明確に知られてしまい、申し訳なくなりました。逃れたい気持ちが強くなりすぐ部屋に戻りました。午後になりまたベランダに出てみると夏らしさをどこか感じる暑さがして驚きました。やはりずっと家に居るだけではダメだなとも思いました。

朝起きてすぐIBSの薬(排出を促すもの)を半分に割ろうとして割った直後にどちらも水に落としてしまったので結局丸々1錠飲んだのですが案の定お腹が痛くなって天気に似合わずつらい気持ちになりました。お腹が痛いと本当にマイナスな気持ちになります。特に公衆トイレでお腹が痛くなると不衛生さも気になりますし壁の向こうから聞こえる笑い声や騒音に苛立ち絶望することもあります。なんで私だけこんな苦しいんだ…という気持ちになりませんか?

 

昨日は18時前に眠りについたのですが朝の4時に目が覚めたあとまた眠りについて8時半に寝床から出ました。18時前に寝たというのも眠くて、というよりは今の自分に出来ることがなくなったと言うか、持て余したというか起きるのに飽きたという感覚で眠りました。人によっては訳がわからないと思いますが実家にいるときもやることがないと思ってるうちに眠くなって昼寝をしてしまうこともまああるのでそういう傾向に元々あるんだと思います。

また、気づいたことなのですが最近自分は眠るために起きているみたいです。眠りという欲望のために1日を過ごしています。多分眠るという明確な目的が今はあるから何も考えなくていい、しかも眠ってしまえば何も考えずに済むということが今の私には心地の良いものなんだと思います。起きてからすぐ寝床から出てなにかしたいと思うわけでもなく眠り続けたいと思うことが多々あります。低血圧も影響している気がしますが起きたところで何もしないのだからこのままがいいと思ってしまいます。最近寝床から出るのに時間がかかる理由の一因なのかなと思います。

だからといって何もしていない、何もできない状態にずっとあるかと言われたらそういうわけではありません。休職直前に比べたら出来ることも増えてきました。まず、極度に嫌いだった皿洗いを毎日するようになりました。一人暮らしの経験がある一定数の方ならわかると思いますが皿洗いは他の家事に比べて頭一つ抜けた面倒くささを帯びています。始めてしまえばそんなこともないのですがなんであんなにいやな気持ちになるんでしょうか。大学時代皿洗いがいやすぎて紙皿と割り箸で過ごしていた時期が2ヶ月ほどありますがあれは人間としての尊厳を徐々に失うというか、QOLが下がるというか、とにかくあまりおすすめできるものではありません。あとゴミ袋に詰めるときに割り箸が出てくる可能性があって危ないです。あの経験は食器が食事において密かに大事なポジションにあることを実感しました。

この日記を書くことも今日起きたこと思ったことから思い出したように長々と過去の記憶や自分の世界観や価値観を書いていますがその作業がルーティンの一つになりつつあります。人と会話することが今極端に減っているのでTwitter以外のことで思考を文字に起こすことは色々な整理につながっています。だから長ったらしくなるんだと思いますが意外にも見てもらっているみたいなので見る人がいなくなるか自分のやる気が失せるまではできるだけ毎日書きたいです。

 

さて、今日はいっぱい寝たという話をしましたが今日も夢を見た記憶が残っています。色々と見たはずなんですが覚えているのがどこかから封筒に入った貨幣が見つかったという夢しか覚えていません。それも1万円札が1枚と紅色?の1500円札や青色?の2200円札など微妙な額のお札が数枚入っていたというものです。2000円札ですら使いどころがなく消えていったのにそんなモノどこで使えるんだろうという感じです。

この夢で以前実家に帰ったとき母方の祖父の遺品整理のときに出てきたらしい硬貨をもらったのを思い出しました。十銭硬貨や東京オリンピックの際に作られたであろう1000円硬貨や昭和天皇御即位五十年記念硬貨などそういうのです。価値があるかはわかりませんが遺品だからということでもらいました。

祖父はシベリア抑留を受けた経験があったり戦争に赴いたこともある歴史の教科書に出てくることを経験した人間でした。戦友が死んで埋めるために冷たく固い土を掘った記憶は忘れられないと言っていました。祖父は95で亡くなりましたが死ぬまで歯はすべて自分のもので他の骨も丈夫、ボケもほぼなかったという健康長寿の人でいつもおしゃれな人でした。彼との接触は他の孫に比べたらありませんでしたが死に際に私に会いたいと言ったらしく会いに行ったことを覚えています。死ぬ直前だったためかつてを知る私は驚くしかありませんでしたが来たよ、おじいちゃん来たよ、と声をかけたら笑っていました。診察の関係ですぐそこをあとにせざるを得ませんでしたがそれが最後のやり取りです。最期を唯一看取ったお母さんは彼のことは確かに嫌いだったけど彼は寂しい人生だったんだと、だから最期までそばにいれてよかったと言っていました。彼のことは先述のこともありあまり詳しいことは知りませんしこれ以上語りませんがお母さんがついにどっちも親がいなくなっちゃったとつぶやいたのが今も耳にこびりついています。

 

話は戻りますが夢を見ているということは相変わらず私の睡眠の質は良くないみたいです。病院に行く日が近づいているので時間の早さも感じつつ医者にこの睡眠についてなんと言おうかと考えています。薬を使ってもいいから睡眠を良くしようというそれがまだ難しいです。寝る→食べる→出すという人間として当たり前のサイクルをしっかり作るというのがまだ確立できていないのでそのために色々頑張っています。今日は頻繁に連絡をとっている人からも応援をもらい嬉しかったです。もう少し頑張ります。今日も読んでくれてありがとうございました。また明日。