@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

雄姿

ずっと前から異変はあったのかもしれません。でも私はそれを知ることはなく、声を聴くことも目も合わせることもないままこの日を迎えてしまいました。

私が死に前向きであるのに生きているのは家族の存在があるからです。家族だけは私を許してくれる、どんな時の私でも許してくれて、愛してくれている。最近になってやっと享受することができた純度100の無償の愛。いまだに拾い切れない、返し切れていない大量の愛を「当たり前」で片づけて去っていくその姿に私は何も返せていません。この人たちだけは私を悲しんでくれるし、悲しませたくない。だから生きなきゃ。

そういうある種の依存にも近い気持ちがあるからこそ今日があります。相手も人なので全部が全部を肯定できる存在かと言われたらそうでもないのですが返し切れていない恩が無数にあるのは事実で、これから少しずつ返していければいい。でも、それっていつまでそれが許されるんでしょうか。保障されている時間なんてどこにも存在しないんですよね。

 

ずっと眠る日が続いていますが今は眠れずにいます。まあ眠れないでいる中突然意識が途絶えて次起きたら夕方になっている、というような日々が正しいのですが少しずつ新しく頼んでたものも届いてきてあーやっと形にしたいものが形になっていくと潤いに近い気持ちがあったのです。いや、今もあるんです。やっとひと段落ついてこれからひとまずこれを持続させて、いい感じにしようって。自分にあれこれ試して自己肯定感を高めたいなって思っています。

まあ嘔吐することもあるし、寝れない起きれないもあるし恐怖心みたいなのもたまに垣間見えるので動けない時も若干ありますが動いた分の反動だと薬を飲みながら自分に言い聞かせてます、それぐらいできないでどうするんだって。

ただ心が柔肌すぎてちょっと鋭い言葉が刺さったらすぐしおれるのが本当に嫌ですね、人の3倍はダメージ受けてる気がします。だからと言って混沌の煮詰まったインターネットから抜け出せない自分が嫌ですが前ほどゲーム漬けみたいなことも減ったので損しているのでは?という気持ちより今を良くしたいな的な気持ちに目線が移っているのかなと思うと人間としてはいいことなんだと思います。

 

そうやって過ごしていましたが今日(というか昨日)はお父さんの手術日で、7時間近くかかったらしいです。前から心臓の外側に3センチの腫瘍があるってのは聞いていたのですが想像以上に時間がかかったようなのとまあいろいろとどう考えても予後不良だろうなという話。私は泣くことしかできませんでした。家系的にも予期できたことだと思うんですが、今ここでそこまでかという感じでもあったので。

手術に行くとき車で行ったら駐車料金がかなりかかるからとお母さんと二人でバスで病院に行ったんだそうです。それで、病院で入院患者しか行けない場所とお見舞いとか付き添いの人がいける場所の境界線で「ここから先は来れないからな」って言われたそうです。「そっか、頑張ってね!」って声かけたらしいんですけど無視されてもう一度「頑張ってね!!!」って声かけたら振り返って「…うん」っていってそのまま奥の部屋に言っちゃったそうで。全身麻酔をして心臓周りをいじられることを考えたら緊張もしていたのかなと思いますがそういうことを一切口にしないし表情にも出さないので本心はどう思っていたんだろうとか考えてしまいます。

詳しくないのと実際に話を直接聞いたわけじゃないのでわからない所が多いですがこの先の選択によってはもうカウントダウンは始まってるんだなと思うこと、もし治療をしていくならあのかっこいい姿はもう見れなくなってしまうのかということ、プライドとかしっかりある人なのでおしゃれできなくなるのもつらいと思うし、自分の唯一の娯楽の飲酒喫煙は当然禁止ですし、そうやって手に入れる時間って本当に幸せなのかなって思っちゃいます。今すぐにでも帰れって周りには言われたんですがお母さんに危篤とかじゃないんだし変に心配かけるからあんたはあんたの生活を頑張ることに専念しなさいって言われたのでGWあけ少ししてからか5月下旬ぐらいに帰る予定です。ほぼ毎月に近い頻度で帰ろうかなって思ってます。こういう時は職なくてよかったなって思っちゃいますね。全くよくはないんですが。

お母さんも弟もお父さんのことをよく思ってないんですが私は怖くてもお父さんは唯一の「お父さん」なので昨日からずっとグズグズ言ってます。花粉症かってぐらい鼻水でてます。こういう話したってことお父さんに言わないでねって言われたので何も知らない顔して帰らないといけないのが結構重荷です。弟は状況知ってるんでしょうか。一番険悪な関係なのでもしかしたら知らないかもしれませんね。そして、お母さんも動揺したとは言っていましたが両親を看取ってきただけあって芯の強さがあるなというか安心感を与えてくれる言葉をくれてそれで慰められた部分もかなりあります。

自然の摂理なので当然ではあるのですが自分が死ぬときは両親はまだ生きてるもんだとなぜか漠然と思っていたのでいずれ来るお母さんのそういう時はどうなってしまうんでしょう、壊れてしまうかもしれません。

お父さんが愛し方を知らないで歪んで育った人なのもあってか家庭内でも恐怖支配する人で自分の機嫌で人を動かす人なんですよね。私はHSPなのでそれに過剰に反応して常に怯えていました。~5歳ぐらいまではお父さんっこだったんですけど、物心がちゃんとつくころには怖い、目を合わせられないって感じで同じ家にいて、同じ時間に食事をとるのに何年も会話しないなんてざらでした。でもそれじゃだめだなってなって高校上がったぐらいから少しずつ会話するようになって、少しは目を見れるようになりました。それでもやっぱり怖いです。機嫌のいい時の笑っている目でも目を見て話すのができないです。自分が模試でいい成績をとったときも「それ、社会で役に立つわけじゃないだろ」って言われて何時間も部屋で泣いたりしたこともあったりしたので本能レベルで恐怖を植え付けられてるんだと思います。

それでもお父さんは「お父さん」なので一概に嫌いになれないんですよね、独特な考えだと言われましたが私としては自分を構成する半分は彼で、私を特別視してくれる存在の一人で、決して他人じゃなく、どんなにあがいてもつながってると思っています。

愛し方を知らないだけでお母さんが「これが家族みんなで出かけられる最後のチャンスかもしれないのにね」とか「最後の卒業式にもでてあげないんだ」とか軽く言うと仕事だからわからないとか言いながらちゃんとその日は時間空けてくれて嬉しそうに袴姿とか撮ってくれたんですよね。いつの写真か忘れましたが成人式の写真か卒業式の写真を待ち受けにしてるって聞きました。恥ずかしいです。

そういう、ぶきっちょなりな愛を知っているからこそ、かっこいいお父さんが好きだからこそ、人間としての老いだとか、治療による姿とかを見て平静を装える自信がまだありません。お父さんの言葉でお父さんのことをもっと知りたいし、もっと教えてほしいと思っています、まだやり残していることがたくさんあるはずだと思います。でもどうしたいかとかは本人の意思が第一だと思っています。基本的に人間は長寿を望んだり不死を願うみたいですがお父さんはそういう人ではないので。

 

前も話したかもしれませんが昔、17年ほどパーキンソンで闘病していたおばあちゃんのほぼ植物人間状態になっていた状態を1度は見ておいたほうがいいとお母さんに言われたのに自分の中のおばあさん像が崩れるのが怖くて何となく避けているうちに亡くなってしまったことがあります。焼いたとき、骨はほとんど灰と見分けがつかないぐらい貧弱なものになっていて、箸渡しの時に崩れ落ちるなんてことがありました。植物状態といっても思考がしっかりしてるかもしれない。でもそれがどうかもわからない。おしゃれで器用で秀才だった姿をおぼろげながら覚えているからやっぱり見に行けませんでした。

お爺ちゃんの時は私に会いたいと言ったらしく、会いに行ったときじっと見つめられてじっと見つめ返すことしかできませんでした。私はそんなにお爺ちゃんと会話した記憶がないのですが心配してくれていたのかもしれません。でもそれも知れないまま遠くに行ってしまいました。

今まで通りにふるまって和やかにしたい自分と残りを大切にしたいと思う自分がいます。来年はいるかもしれないけど、3年後にはいないんじゃないか、そんなことを考えてしまいます。彼自身もどんどんできないが増えてイライラして、苦しむんじゃないかと思ってしまいます。そうやって得られる生に幸せは存在するのか、何とも言えないです。

私は愛にまだ何も返せてないと思ってます。申し訳程度に頻繁に帰ったりプレゼントとかは一人暮らししてからは特にするようになったんですがそもそも酒とたばこ以外に何が好きかあんまりよくわかってません。使えそうなものをあげたりとかはしていましたが(きっとなんでも喜ぶんでしょうけど)真になにがほしいかとか全くわかりません。

そういえば昔このゲームが欲しいと弟と騒いでいたらクリスマスにほらよとソフトを投げ捨てるように渡されたこともありました。当時は素直に喜んでましたが今思うとそういうのに疎い人なのであってるかなってもしかしたら調べたり聞いたりしたのかなとか考えると考えてくれていたのかなとか思い返してみたり。(投げ捨てるように渡してきたのは単純に素直に渡せないだけなのは一緒に生活していたらいやでもわかります)

 

お父さんっこだった時は仕事に行くたびに車に一番近い右端の窓にしがみついて出勤するのを泣きながら毎日見送っていました。その記憶はあります。あとは割と人づてに聞いたことだったり曖昧なところは多いですが何となくお父さんの足元にいることが多かった気がします。だからこそ今も愛娘みたいに扱ってくれてるのかもしれないですね。

 

今はただ、お父さんの言葉で今の状況とか今の気持ちをなんかしらの形で連絡をくれることを待つことしかできなく、今の気持ちを標しておきたくて書いています。あの人のタイミングがあるだろうからと言われたのもありますがどういう風に伝えてくるのかとか、こうしたいとかあれしたいとか何か本心に近いことを見栄を張らずに教えてほしいなって思います。幸い、私は自由に動ける身ですから。不安にさせることが続いていますが、少なくとも言葉は話せるし、移動もできるし会いに行くこともできます。いろいろ抱え込んでいかないでほしいなって思います。

 

当たり前なんてないんだな、って久々に痛感しました。日常と言えるものは少しずつ形を変えてある日壊れて、また別の形になっていくんだなと。軟弱な私にできることを、後悔が少なく済むよう、よく考えたいと思います。

それと別にちゃんと自分を形成するためにしているあれこれの手も無理のない範囲で止めないようにします。翻弄されて頑張ってた時の私を帳消しにするのは良くないですから。

 

今日情緒が崩れてグズグズ言ってる私の話を聞いてくださった各位には感謝しかありません。みっともなく支離滅裂にのたまう私をただ黙って聞いてくれてありがとうございました。そして本当にすみませんでした。

 

次もまたこの話を少し持ってくるかもしれませんが大きな話が入ってこない限りは自分のことをまた書いていくつもりです。また寝れない時にでもたらたら書きます。それでは。