@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

天秤

引っ越して1年経ったので例のレシートはちゃんと1つ1つ記録しました。なんで今生活できているのかよくわからないけれどそう言えば買っていたな、みたいなのばかりでした。臨時収入があったのですが普通に使い切ってしまったのであぶく銭と化してしまいました。それでも空いたなんかを押し込むようにいろいろ買いあさって潤いを少し得たと感じております。自分の形が分からなくならないようにちゃんと化粧をする頻度をあげました。やり方を思い出したように感じます。いろいろコスメを買いあさってしまっています。

 

さて、マイナスな感情が多いと文字が増えます。日記もtweetも同じです。まあそれを超えるとスマホも持てなくなるのでつぶやかなくなるんですけど。

一瞬だけ書いた愚痴、あまりにきもくてすぐ消したんですけど、何となく整理ついたのでまとめときます。悪口いいたいとかじゃないです。

人間は比較をしたがります。なにも意味がなくても。それで自分が成長するわけでもないのに、上を見ては血がにじむほど唇をかみ、下を見ては自分も案外どうにかなっていると『安心』したいのです。

私はそれがいやでいやで、無価値で無意味だと思ったから逃げてきました。比較するのであれば過去の自分であろうと思うのです。その過去ですら亡霊なわけですが。

にしたってまあ、いろいろと諦めて生きてきたこのエクストラステージの人生でも露骨な贔屓「されないほう」をされてしまうとなんとも言えん気持ちが生まれるわけです。何も言われていないから被害妄想、と思いたいのですが反対側はたくさんたくさん積み重ねられているのを目視しているんです。そうなると差って見えちゃいますよね。まあその方は今を最高に楽しく生きているはずなのでこんなゴミの掃きだめなんて見てないで他の事しててくれと思いますし、大丈夫だと思いますがまあいずれにせよ本音を書きたいなって思います。ふせったーの時よりは文章で。あの時は単語しか出てこなくて、怖くて、発作が止まらなかったのです。

ずっと思っていた違和感、私が生きにくいと思う理由、エネルギーのあるものはまぶしくて触ると痛いのだと。私はエネルギーのマイナス側にいるのでフィルターがあったのやもしれません。いつかのそれは一目惚れでした。すごい無理やりに仲良くなろうとしました。ちょっと会話する機会があって仲良くなれました。久々に友達っていうか、知り合いっぽいものができたなってはしゃいだのを覚えています。世界への冷め方が何となく似てて、ああ、居心地いいなとも思ってしまいました。それももう1年前の話。

同じものに違うものをあてがう。それに手をあげてみました。私ができることといったらチラシの裏の落書きの文字ぐらいですから、一緒に何か作れるならと手をあげてみたのです。愚かでした。

知らず知らずのうちに第一作ができていました。順番とか、なんか連絡ってあるもんじゃないのかなあなんて思ってました。でもなかったのでここもまた無理やり投げつけました。何かを作るのは、楽しかったです。人間をしている、創造をしている、その一部になっていると思えました。楽しかった。ああ、とても。同じものに違うものが2つ、できました。

 

天秤の二つの皿、一つにたくさんの重しがのせられる。それも勢いよく。思い浮かんだ。コンビ。最高。分かり合える。その横の空の皿は宙を舞います。何も言われない。制作の間では感謝も多くありましたが、これはほめてほしいというのではなく、同じ括りのものだったもので"優劣"が見えてしまったのです。私のは、ゴミで、ほめるに値せず、全然フィットしない。誰でも考え付くバカの文字列、感想を語る価値もない。上司の見下してきたあの目を思い出しました。泣きました。メモ帳をぐちゃぐちゃにして、お薬をたくさん飲んで、ああ消えてしまいたい消えてしまいたいと、何か探しても何もありませんでした。その次の日に自分のかかわった者の宣伝って、公開処刑される気分になるのにあんまり時間はかかりませんでした。

悪気はないのだと思います。嬉しいに走り続けていたら周りの視界は雑に見えるものです。私はおいしい物を食べておいしいと思っているのを見ている飾りのパセリみたいなところにいて(私はパセリも食べますけど)、その方はあふれ出す歓喜に満ちた光をたくさんたくさん拾いたくて放ちたくて、仕方ないのだと思います。特別になりたかったわけではないのです。ただ、明白と言わざるを得ないほどの劣の烙印は、この硬い要塞のなかのやわこいものにはあまりにも激痛だったのです。宙を舞うほどに軽い、置かれてた場所から遠く離れた場所にガシャンと落ちて、誰にも目にとめられない皿。もう片方の皿はもはや天秤の皿ではなく盛り付けるための高級な皿のようなものなのです。それはそれで美しくあればいいと思います。ただ、もう、勝手に自爆しただけなんですけれども、心のキャパシティーをこえてしまったというか、私は世界に対する解像度が高すぎるんでしょうね。もう、よほど熱量が戻ってこない限り、私はもう公の場で筆を執ることはないと思います。それは無価値ですから。自分の紡ぐものに価値がない、際立たせる添え物がいいところの何かだと思い知らされるくらいならば、私は何もしたくない。一人で揺蕩うのは比較におびえるが故なのか?この日記は比較はなくただの己ですからまだ気楽ですけど。

何か悪いことがあって限界が来たり現実を突きつけられたりするとそれに関連するものはほとんど処分してしまう癖があります。なので前までは部屋に物とか結構少なかったしプレゼントもあまり受け取らないタイプだったんです。だから今回もそれが出てしまいました。悲しくもありましたが手に持っておくことができませんでした。ごめんなさい。ごめんなさい。

 

昔、ベッドの上でぼーっとしていたら一週間が終わって、周りがゴミだらけになっていたのを思い出しました。割とそれに近い心理状況になっていました。当時はまだお薬をもらえていませんから、眠ることもできず起きることもできず、いや正直記憶曖昧なんですけど、真っ白い部屋でトイレだけいってついでに水を取りに行って、だけ。夏でした。まだコロナ前だったのでマスクを夏にするのはナンセンスで外に出るにはしっかりとした化粧が必要で、遠かったんですよね。なんか、それを思い出すような気分になっているので相当落ちているんだと思います。話を聞いてもらえる環境下だったのでまだどうにかなっていますが、とても苦しい。少し前に入社していた同期を追いかけて追い付かなくて馴染めなくて何もできなくなっていく自分を思い出しています。

 

ずっとゲロをはいて、頭もずっとギリギリいたくてぱちぱちシートを開けて、バカみたいに寝て、どうにかなってます。真夜中にご飯を食べたりする当たり、回復感じますが別ベクトルに悪化しているのかもしれません。

 

無心になりたくて掃除機のフィルターをきれいにしたり、化粧ブラシを全部洗ったり、段ボールを同じ大きさに切ったり、とにかく考えなくて済むようなことをたくさんしていました。無駄だったとか無価値だとか思いたくなくて、ずっとずっとずっとやっていましたが、殴られるような頭痛はやまなくて、死臭みたいなのが窓の前にとどまっています。マイナスの感情によって来るので本当に嫌なんですけど。

 

可動域が広がるどころか狭まってしまいました。ただまあそれはそれとして今しなきゃならんこともちゃんとやってます。できる範囲でですが。先の事実に気づいてから脈拍がまた3桁に上がってしまったので緊張状態がすごいんでしょう。近くの店のマッサージ機に定期的に通っています。外もいい天気で、過ごしやすい。花はキレイで彩度が高いです。次は来週病院なのでそれくらいにまた書けたらいいかな。それでは。