@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

追憶

雪が積もって圧雪された雪道が寒暖差、車の行き来により冬道になりました。天然のスケートリンクみたいなものです。本当に危なくて信号が変わってアクセルを踏んだ車のタイヤが滑りまくっているのをみます。テカっている路面、積もった雪山を見るとこんな時期の真夜中、誰もいない道を友人らとはしゃぎながら走ったのを思い出します。今思うと怖いですね。若気の至り的なものでしょうか。

家にいる頻度が増えて筋肉が落ちたからかそういう道に嫌気がさして外でれる気概はあれど~と億劫になっています。そういう気概にならないことが8割ぐらいなのですが。やらなければならないことをズルズルと引っ張ってしまうのは相変わらず。自分だけが苦労するだけなら本当に厭わず、極端に力を抜いてしまいます。

たまにもっと自分を大事にしてと言われますが自分を大切にする方法がわからない、かといってボロボロになるわけでもなく、ギリギリ普通と言える瀬戸際で突っ立っています。それで私が満足なんですよね。なんだか死にたいとか言っちゃダメだよみたいなことを言われている感覚に似てます。まあそれと違って別に嫌悪感とかはないんです、生きてるなら投げやりにならないでってことなんだと思います。むしろ気にかけてくれてありがとう、私はなにもしてあげられていないのになんて優しい人なんだろう。申し訳ないなと思っています。

生活でいえば食事もパン1つと飲み物でいいだとかまだ着れるし見せるものじゃないからとずり落ちる部屋着を着続けるとかそんなバレるものでもないし安いものでいいかと安めの化粧品を買ったり"どうにかなるならそれでいい"という姿勢で生きてきた、なんというか見上げるのではなくて目先の道が崩れてなければいいからそれを確認して歩いているからそれ以上の物を知らない、別にいいという感じで来たので本当に持つべき物欲を欲したことがほとんどなく。今年の服のトレンドは知っててもそんな出かけないからなあと気づいたら今年服を買うことなく終わりそうです。驚きですよね。流石に人の形保持してるか怪しいです。食べ物は頂いたものと先日大量にまとめ買いして想像の倍ぐらいの金額相応の食品を買ってきたので年末年始はどうにかなるはずです。化粧はマスクのおかげもあってリップをつける頻度が落ちましたが肌の調子は良くなってきたように思います。マスクをつけるとフェイスラインが荒れるのでちょっと嫌ですが。それで満足、OK、となり、自分の世界を自分の周辺でとどめてしまっているから誰かに支えられるというわけでも支えてほしいわけでもなく己を労る方法がわからず。薬を飲むことはある意味労りでしょうか。あと睡眠。前よりもサイクルはマシになりましたが急な睡魔は相変わらずです。

『自分を大切にする』具体的な方法が分かる人は教えて下さい。実践してることとか。私にはちょっと難しくて、自分が満足しているだけじゃダメなのか?それはわがままではないのだろうか?と最近考えることが多いのです。

大切にしている、とは違うと思いますが最近やたらと欲しい物が出てきてアレもこれもと色々とまた手にしていて整理したら想像以上に買っていて驚きました。さっきまで言っていた物欲とちがってなくても生活に支障がない嗜好品といったところです。飽きるのが見えているからあまり一定のジャンルに物欲を覚えたりしないのですが初めてこれは絶対欲しい、これは手にしたいという気持ちが芽生えてなるべく叶えるようにしていました。それがかろうじてこの4ヶ月ぐらいの自分を人間足らしめていたかもしれません。

後払いのものばかりで支払いだけはちゃんとしなきゃと割と早めに向かう傾向にあるみたいなのでそこはちゃんとしてるだけまだマシですかね。切羽詰まらないと眠い、外に出るなんてできない、こんな恥を晒したくない、頭が痛い、吐きそうそんなぐちゃぐちゃが内臓を混ぜようとするように駆け巡って頓服を飲んでいます。外に出れないと思ってても外に出なきゃいけないときは考えないようにいて準備だけして鍵と財布を握りしめて外にでて後はもう何をしても大差ないからと言い聞かせてコンビニなどに行くようにしています。

病院は1回いったのですが熱があるからと受診ができなく、ふて寝しました。頑張って外に出たのになあなんて思いながら。寝る前明日はこれをしてこうするんだと決めてから寝るので当日それができないとこれとこれが残ってしまったからとあれこれ考えてこんなこともできないのか…と自分を憐れむことも多々あります。今日はせきくしゃみもあって完全に風邪なので横になるようにはしています。コロナではないと思います…多分ですが。こんな引きこもりでアルコールをことあるごとに浴びている常時マスクをつけた人間がかかったら今頃世界はもっとすごいことになってますよきっと。なんて思いながら合理化しています。体温計がないので今の熱とかわかりませんし病院にいったときも熱っぽさはなかったので無意識のうちにばらまいてしまっていたら本当に申し訳ないです。申し訳ないで済むわけないだろって感じですね。

まあ改めて病院に行ってあいかわらず「どうですか?」と聞かれて。いざどうと言われたら何も変わっていない、変わっていないということは不調のまま、眠りが悪いかな、でもなあ…とぐるぐる考えていることを闇雲に先生に伝えます。こればかりは私が伝えないと何もかも変わってしまう。先生は優しいのでそうだね、迂闊に外もでれないし、そっかと静かに聞いてくれます。血圧を測ったら85/75でした。元気がなさすぎるねと言われたので元気が無いみたいです。「元気そうにみえるんだけどね」と言われたので「外に出る時だけは頑張っているので」と本音をこぼしてしまいました。実際家にいて活発にやるか!というようなことが減った気がします。時々いいな、とかよかった、とか言うことがあっても付け焼き刃というか常時刺さってくるものではないのでそれこそ自分を大切にすべき、なんですかね。

自分優先の日々を過ごしていると今日は無理だから今日はなかったことにしよう、寝よう、だめ、もう寝るという日がまあまああって1日ぐらいならとそれがなかったことになるからまた1日ぐらいなら、を生むんですよね。ちょっと変な文ですけど…ただたまにあるのがAという予定にいける状態じゃないから日にちをずらした瞬間に少し身体が軽くなるという現象です。自分の身体に腹が立ちますね。解放された気になってるんじゃない、むしろ先送りという罰だぞと思うのですが幾分かマシになっただけ家事ができたり別のすべきことができるので皮肉というかなんとも言えなくなります。

そんなに眠らないと、横にならないといけないぐらい疲れているのか、それ相応の動きはしていないのに。じゃあ思考?でも考えることをやめてしまったらそれこそ終わりだと思うので考えることはやめたくない。錆びないように動かし続けなきゃいけない。じゃあ起きるたびに外が暗くて何時かもわからない恐怖が、嫌気をさすことが睡眠をめちゃくちゃにしているのか?とだからと必要ない動きをできるほどの元気もない。

騙されたと思ってやってみて!みたいな文を見るとできねえから困ってんだよと汚い言葉を吐いてしまいます。騙されたと思って、じゃないんですよね。できるならやってるんですよ。やる気がないだけでしょ?みたいな文章は本当にわからんのなら黙ってくれと思いますね。そのまま健康でいてください。

 

1日経ったか2日経ったかわからない、あれは昨日の事?え、一週間前のこと?そんな日々ばかりの2020年でした。今年はコロナの関係で1人で年を越します。一人暮らしの部屋で年を越すのははじめてです。実家のほうも親戚周りは最低限にして宴会などはしないそうです。そんな静かなお正月を実家で過ごしてみたいものだなとも思いますがやめたほうがいいよ、というのでおとなしく従いました。下手に家族に不安を与えたくもないですし。

今年の年の始まりは就活を焦ってやっていました。主に生活費がそろそろ危ないという理由ですがいくつかみて面接なんか受けて。ハロワにも何回もいっていました。その後手帳関係等で役所に通うようになっていたらコロナがやってきて日常が様変わりしましたね。これぐらいの距離感の生活は好きですが最初はあまりに静か過ぎてびっくりしました。色々やりくりをしてしばらくどうにか過ごせそうだとなったのとコロナの関係で就活を控えていたところで4月~7月ぐらいですか。すごく体調が悪くてうまく動けなくなってあらゆることから手を引いて静かに時間を溶かしていました。うまくいえないのですが輪を乱したくないからと甘んじて承諾した結果振り回されてずたずたになってしまったみたいでその後の回復に本当に時間がかかってしまいました。何をするでもなく、何かをしたいでもなく、死ぬ労力すらも持ち得なく、妥協した結果の日々・生存といった感じでした。人間、自分で死のうとしたらそれにすら労力を必要とするんだなあと溶けていました。何回も思ったことですがその時期はやたらそういうことを考えていました。そして自分は1人が大好きで、理想なんだとやっと学びました。友達の存在は重要ですが日々は1人。不安や謎の無い理解の及ぶテリトリーで過ごせることがストレスフリーなのだと。誰にも惑わされずに在りたいと思いました。

春になっても夏になってもマスクをするという日常が自然になってきてこれから先の日々というのはこういうものになるんだろうなと思いながら同じ道を歩くたびに見かけていたラベンダーが鮮やかな色を見せて枯れて。近くの駐車場に建物ができて。私の時間は2018で止まっているなあと考えているとふと実家の近くの公園の大きな木を思い出したり。何故あの景色を思い出すんでしょう。

まあ最低限、年始めに頑張っていた自分がリスタートのための準備を多くしていたおこぼれを預かるようなかんじで続けていたことが実を結んで先日諸々の書類を送る(手続き完了)というメールを頂きました。見えないだけで不変ではないんですね。ただ、本当の意味でブランクを作ってしまったのも事実で取り返せるのか、いや取り返す気があるのか?という感じです。今年も生き延びてしまいました。それは決定打がなかったこともありますがそれなりに私を見てくれる目があるからというのもあり、ミリ単位で良くなっている部分もあります。明らかに笑う頻度が増えましたし。座っている時間より寝ている時間のほうが増えた気はしますが何かしらのつながりというのは増えた気がします。薬もほんの少し減りました。

振り返れば本当にちょっとしか無いような日々かもしれませんが初めて何かに魅了されたり頑張ろうと思ったりした年でもあったので2020年がいらないかと言われたら必要なパーツでもあると思います。部屋周りを見てみると1年前とは大きく変わっているのでたしかに私は生活をしていたらしいです。

ただ全体的に気力が落ちていたのもあってこの備忘録は日々の記録というより一週間、今月のまとめ、みたいになってしまいました。1つ1つ文量があるので文字数でみたらわかりませんがまとまりで見たら今年は27、去年は63、その前は90ですから離れていってる感じしますね。やれることが無いなら書こうぐらいの気軽さでいきたいですね。気づけば9000回もアクセスされてるらしいので嬉しいです。毎回長ったらしくて申し訳ないですが来年もぼちぼちかいていくと思います。

 

ただの平日、というような感じで1年を終える感じがするので久々にテレビでもつけようかなと思います。1年の区切りを曖昧にしてしまうとやらなきゃという圧をかけれない気もするので。

来年の今頃はどこでなにをどう思って過ごしているんでしょう。自分でもわかりません。いい仕事を見つけるかもしれないし倒れて更新が止まるかも。今日と同じような気持ちで揺蕩っているかもしれないし寛解に近づいているのかも。見守ってくださればと思います。多分今年の更新はこれで終わりです。5000文字も書いたから十分でしょう。気づいたらこうなってただけですけど… 来年またよろしくお願いします。少し早いですが良いお年を。