@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

果肉

学芸会が嫌いでした。極度の赤面症、というか多くの人の目が自分に向けられることが恐怖だったこともそうですがそれ以前に「意図して役になりきることは己を偽ること」だと思っていたからです。未だに思うフシがあります。その役を被れず、偽ること自体にも羞恥心があり、更に罪悪感が入り混じったを感じていました。思えばままごととかお人形遊びという類が嫌いなのもそういうところから来ているのかも知れません。

今文字に起こして気づきましたが逆をいうと一般的な女の子は"役になりきる"とか"物語を作る"ということに楽しさを見いだせるということですよね?私が"女性"を好きになれない理由がまた一つ見つかった気がします。否定とかではないです。私が女であるのに単に女性社会に馴染めず、カーストの枠からすら外されて浮いてしまい、苦手意識を持ってしまっただけの話です。

そのクセ、「この場に置いて自分はこのキャラクターがやりやすい」と友人のコミュニティ・対社会その他に様々な顔を持ち己がどれかわからず、困った時期もありました。どれも己で偽りはないのですがもしもいつもこうなのにこんな感じだよね、アレってなに?と言われたら答えられない、見せる顔すべてその場の最適解を無意識に選んでそうある自分だからどれが本当、なんて言われたら困ってしまいます。なのでAという輪とBという輪が偶然重なったらyuingAとyuingBがぶつかってエラーを吐いてしまいます。これは当たり前だと思っていたんですがどこに行っても変わらない人も周りには多く、私には己がないのかなあと不安になることもあります。

でも八方美人とは違います。昔は八方美人でした。コミュニティのために意図的に「都合のいい女の子」になろうとしていました。そうしないと孤立して"かわいそうな子"になってしまうからです。中学という変化に従順はなれど受験をして元々の友達グループと違う学校にいったこと、学年に女の子が多いこと、あと最初に書いたことが災いしているんでしょうね。どの女の子の輪にも属することができませんでした。1学年に60人くらいしか居ない(1学年75~80人くらいの学校です)女の子の小さな輪に入れず、1人でいればぼっち。男といてもたらしだのあいつのセフレだのという噂をたくさん耳にしました。怖くて寝たフリをしながらキャイキャイはしゃいでる女の子たちの噂に耳を立てて次は気をつけようとかこの人とは近づかないようにしよう。とかしていました。気持ち悪いですね~。

いじめらしいいじめはなかったですが歩いてたり寝坊して送れて学校にいったらいじられ、ではなくばれないようにクスクス笑うあの感じはよく見ました。yuingが教室にいる~と苦笑いされたり。放課後いっしょに帰るとかそういう1:1の交流は少なからずあったんですけど誰かに選んでもらえる1番になることや誰かをすぐ選べる自分の1番になることはありませんでした。4人グループに入って3人で盛り上がってる話題についていこうとDVDを買ったら呼び出されてそうやって無理してついてこなくていいから。と言われたこともあります。まあ普通に対人スキルがなかったのもあると思います。組織の歯車の一つになって溶け込む、ということの難しさ、自分が"変"であることに気づくのに時間がかかった記憶があります。社会不適合の片鱗がすでにここで見えますね。

中3の終わりぐらいからそこらへんから1人のほうがよっぽどいいやって思うことが増えました。常々気を配りすぎるのもやめました。八方美人はモブにはなれても誰かの劇場の主要キャラクターにはなれないんだと、己の日々なのになんで他人の日々に散って勝手に悲しんでいるんだろう。そう思うようになりました。高校に上がればそれぞれ志望校に向けての勉強が主になり大学で授業を選択するような感じで自分の授業を組んでいくシステムになっていったので気楽でした。ああ、1人が許されるって楽しいな。好きなタイミングで飲み物が飲めるし話の間も気にしなくていい。視線の気配りも、声量や抑揚なども気にしなくていい、そして好きなときに帰れる!と家にずっといるか自習室にずっといるかのどっちかになっていました。まあ勉強してないときもありましたが自ずと着飾らない自分と話してくれる人が増えました。「こんなに話が面白い子だったならもっと早くに声かければよかった!またいっしょに勉強しよう!」「yuingちゃんこの分野得意だったよね?教えてほしいんだけど今度時間ある?」中学じゃ信じられないような言葉を女の子からかけられることもありました。

特筆して頭が良かったとかじゃないです。志望校が高めだったからそのクラスにぶちこまれただけなんですけど頭がいい人たちは振る舞いも芯があって己を持っている人が多かった気がします。1人での行動も全然行ってましたし。だからそういうのをみて間違ってなかったんだな、と世界の広がりを感じました。大学に入ったら1人が当たり前で好きなように環境が作れるので1番幸せな時間でした。

 

思い出したからこんな話をしましたがじゃあ何だと言われたら特になにもないです。そんな事もあったなあ。って話で。

最近、Twitterを見てる人ならわかると思うんですけどやっっっっったらうるさくなりましたよね。私。自覚がかなりあります。喋れる相手(壁打ち)みたいなのじゃ収まらなくて思考を投げなきゃ、投げて留めなきゃみたいな焦燥感、楽しくて楽しくて仕方ないという生への実感、そういうのがアドレナリンを脳内に放出してるんだと思います。そのせいか、もっと他の問題かは知りませんが眠剤をODしても眠れず朝やたら薬が残るという現象が起きています。最近はずっと5時寝です。そういう話を先生にしたら過剰反応、ってところかなあ。と言われて薬の量がもとに戻る+新しい眠剤の処方をしていただきました。好きな作品がいくつも発表・公開・上映されていて今までだったらふーん、見たけどまあよかったよ、ぐらいだったのにこれはこういうことだ!このキャラクターはこう思っているからこうしたんだ、じゃないと目線を動かすはずがない、とか。いわゆる"旬のコンテンツ"というのに二つぐらい足を突っ込んだおかげでそりゃ旬の食べ物は旬に食べるのが1番おいしいもんな。そりゃ食いつきますわ。という気持ちになりました。

今までいわゆる人気コンテンツ・人気作品というものは忌避してきましたし未だにそういうふしがあります。なんか勧められすぎたり人気すぎると触りたくなくなってしまうんです。天の邪鬼なだけなんですけどね。あと気持ち的なタイミングも結構大事だったりするので結局あまり触れてきたものは多くないです。飽き性でハマれないがゆえにすぐ飽きるのが目に見えているからいいか、とか見たけど覚えてないってのも結構あります。だいたい旬が終わった2年後ぐらいにふと作品をみて1人であ~よかったなあとなって1ヶ月後にはぼーっとしてるようなそんな生活だったのにあらゆる場所から器がどんどん満たされていくように、あふれるぐらいに注がれて、能動的に話し、考え、動くことが増えました。もっと知りたい・もっと応援したい。そういう気持ちなんですかね。それに付随するように仲の良いひともそれを手に取りいっしょに楽しむなんていう今までじゃありえない現象も起きています。オタクってこういうことなのか、そりゃ語彙力もなくなるなと言う感じです。薬が切れてたのも相まって結構躁な状態が続いて不眠症も続いていました(躁鬱ではないのですが)。

昔から"キモオタ"で言うところの"キモ"の部分だけでオタは半透明みたいな生活を送っていました。アニメとか見るけど別に声優とかには詳しくない。春アニメとか夏アニメと追っているわけでもなく。ただツイッターで日常を垂れ流すだけ。そんな虚無という言葉が似合う浮いた人間です。それが地に足つけた存在になったんだなと、足がついたから走れると、そんなかんじで走り回っているんですが年を追うごとにそういう人間味がくっついてくるとなりたくなかった醜いと思っていた大人?人?になったのかなとも思う自分も居ます。それが自分に残ってるいらない小さなプライド的なモノなのかもしれませんが心から、奥底からすごい!!と言えない自分がいるのはまだ根底に学芸会が嫌いな私がいるからでしょうか。

初めて人にその作品が好きです。と言いました。言えました、のほうが正しいかも知れません。いつもそういうのを見ても旬が過ぎて居なくなっていたり別のコンテンツに行ってたりが常だったので。なんというか一目惚れしました。勢いのあるその絵の人物の核をついた漫画に本物だ!とよくわからない感想を持ちました。すごい好きなんですよね。これ、って言えないのが残念なんですが一つまたアウトプットができました。嬉しいです。それが相手方にとって足かせにならずに良いものとして片付けられると願ってます。

 

まだ言いたいことはいっぱいあるんですけど長すぎなのでそのうちいい感じにまた書きたいです。

直近の体調についてメモっておきます。眠れない事が多くて眠剤を試すという意味で新たに2種類追加、抗うつ剤抗不安薬は持続ないし増加、下剤も一応いただきました。その他いつもどおりです。ちょっと多いのではと思いますがお医者さんも薬剤師さんも問題ないと言っていましたし飲まないとまた空間に対して過剰反応してイライラするので落ち着くならそれでいいです。薬は好きです。違法のはダメです勿論。処方してもらったりドラッグストアでかうものです。本能を理性の塊でねじ伏せてくれるあの感覚が安心させてくれます。多めにもらって微調整する感じですし予約より早く来てもいいからねと言われたのであわなかったらまた行ってこようと思います。あと血圧が久々に上3桁にいきました。結構きつく巻かれたからかも知れませんが充実しているという感覚がそうさせたのかも知れません。

でも眠れないというのは恐怖でした。寝るのが怖いと思うのは本当にイヤでした。現実から離れられる数少ない手段で、幸福の象徴だったのにと絶望しました。眠れなかったことに依るストレスもあるかも知れません。己の中で己を完結させようとすることに対する欠陥を押し付けられたようなショックを覚えました。眠れずにいるとだんだんケミカルライトをパキパキ割って不可逆の光を放って自分の周りが明るく見えます。そのノリで朝方スーパーに行ったりもしました。5時でも散歩してたり買い物してる人っているんですね。朝方の人の凄さを痛感しました。

もらった薬のアソート袋を持ちながら地下鉄にのり映画館にいったらチケットが完売だったのですが不思議と凹みすぎることなくまあ、バスで帰るか…と偶然出発直前だったバスに乗り帰ることにしました。上映終了している物もありましたが見たかったものは来週も見れるので来週見てこようと思います。

 

薬が切れていたから感情が暴れていたという可能性は少なからずあるので調整した薬を飲みながら落ち着けたらなあなんて思っています。楽しいのは事実ですがあまりにも事がうまく行き過ぎて、感じられすぎて、怖いです。中直りかな?と思ってしまいました。あと疲れをまとっている感覚がすごいので休みたいです。あともう10月なのですがそう思えないぐらいあたたかいので大きいものの洗濯や掃除をしちゃいたいですね。また書きます。