@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

機能

空っぽで何もない箱を持っていました。何もないので怖いという気持ちで溢れてそれで一杯になっていました。明日も見えぬ恐怖に、見たくない現実に、立ち上がらなきゃいけない力に怯えていました。全ては迫ってくる。猶予はない。私は私を捨て去ろう。そう思ったときにとんでもないことが起きたんです。無尽蔵の感情の波は私をさらっていきました。気づいたらその海の上に浮かんで笑っていました。何も現実は変わっていなくても死んでしまおうという気持ちもどこかに流されていったみたいでした。

最近、体力がないのが顕著で予定を引き伸ばしてしまう普段ならしない悪癖がでてしまいました。それは全部明日に集約しています。ただ病院にはいってきました。正直にすべてを話しました。先生は深刻そうな顔をして、私は泣きそうな顔をしていました。親が悲しむよ。といっていました。それはそうです。知っています。その罪を背負って死のうとしていましたから。貴方なら障害雇用じゃなくても(クローズでも)行けるポテンシャルを感じます。話し方にも起承転結があり伸びしろも強く感じます。心に余裕ができたときにでもそちらの可能性もあるんだという事も考慮してみては?と言われました。
意外だと思われますが障害雇用と普通の求人の面接って求められるものが全然違うんです。ただ淡々と作業をこなせる人、自分から手をあげて何かをこなせる人双方でほしがるのはこんなかんじでそれをアピールする方法も当然変わります。なのでオープンになれた私はできるのかな、と不安です。お母さんに生活できないんだから生活保護一時的に受けたら?と言われました。その相談も明日してきます。医者にも一度や二度じゃ申請書はくれないかもと言われたため何度でも通うつもりです。

醜くても生きなくちゃ。そうさせるものがまた一つぽつんと生まれてしまったのです。私のような人たちは困ったら死ねばいいからなと刹那的なところがあります。そして今を燃やし尽くして生きています。私もその一人です。それでもこの先を見据えて、私のために動こうとしてくれる人が、たった一つの感情で飛び込もうとする閃光のような眩しい人が現れたのです。
支えが増えるということは命への負荷が増えるとも言えます。それでも最初は流されるだけだったそれを踏ん張って受け入れて肯定しようとする私がいるのでそれが形になるまで、順当に行くならばもう少し、生きようかと思うわけです。

いろんな人とのつながりがこの一年で増えたように思います。そのつながりは染み渡り手を伸ばせば手首を掴んで引き上げてくれるようなものばかりです。人はなんでこんなに優しいんでしょう。何もない私に何かを添えて飾り付けてくれる人たちばかりです。それをみて虚ろだった視界もすこしクリアになってきた気がしました。
最近は引きこもってばかりですがいい加減明日からはまた外に出ます。いっぱいやることをみつけては動き続けます。

それはそれとして先日衝撃的なことがあったこともあり泣きわめいたあと久々にタバコを吸いました。味もそうですが舌にくる僅かなしびれや喉を通るときのあの焼ける感覚、肺に入れ、息を吹いたときに鼻を抜けるあの後味のような風味、すべてが懐かしかったです。タバコを吸っていたのは大学の終わり頃です。就活疲れで吸い始めました。ただ白すぎて綺麗な部屋を黄ばませたくなく、部屋で吸うのはためらっていました。そうこうしているうちに飽きてしまい、やめてしまったのでその残りを吸っていたわけですが部屋ではぁ、と言いながら酒を煽ってタバコを吸うど底辺感はなんとも言えない良さがありました。毎日はやろうと思いませんが。実家はリビングの黄ばみがすごく、時折掃除をしては雑巾が黄色くなるのをよく見ていました。両親が毎日バコバコ吸うからなんですが…まあそれも嗜みというか嗜好の一つとしていいんじゃないかと思っています。

眠くなってきたので仮眠をとってきます。また近いうちに書きますね。