@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

新年

ひどい夢をたくさん見ました。それは生々しくて、気色の悪いものでした。それでも睡眠薬を飲まずにたっぷり寝たのは2年ぶりで起きたときには脱水症状・脱力感・肉体を動かしている体感の薄さが有りました。

 

あけましておめでとうございます。2020年ですね。響きが近未来です。もう自分が過去の人間になっていっているのだと肌で感じます。年末年始に向かうにつれて感じていた高揚感が薄れ、当たり前の平日を違う場所で過ごしているだけ、色んな所に行くから疲れるなと言うようなそういった気持ちのほうが強く、会うたびに衰えていく親戚やおばあちゃんをみながら久々に大量の酒を煽り、なんとも言えない気持ちで年を越しました。

よく友達と一緒に年越しをしたとか友達の家で遊んだとか年明けすぐの新年会とかあるじゃないですか。ああいうのすごい羨ましいなあって思います。私の家では31日におばあちゃんの家に行って1泊、2日は親戚の家、3・4は小旅行というのが定番となっています。なので31日~4日というのは休みが一切有りません。今年に至っては7日に面接があるということで帰省の間ゆっくりするということが殆どありませんでした。それでもお母さんはお昼にお雑煮を作ってくれたり夕飯に私の好きなものをだしてくれたり、帰省らしい醍醐味も多少なりとも味わうことができました。

そうして昨日、某会社に面接に行くことになりました。1年半ぶりのスーツ、袖を通すのが怖かったです。最後に着たのは休職すると決まった日。その時の記憶をまとっているようで執拗にファブリーズをかけたのを覚えています。おろしたてのYシャツを着て、靴も用意してまるでそれが最期のように部屋をあとにしました。

私はなにか重要な日・事柄があるときすべての物事に対してこれが最後の○○だ…と思うことがあります。昔、極度のあがり症でしゃべることが苦手でした。人前にでると1クラス40人だとして単純計算で80の目(視線)がこちらに向いている。知っている人が私の発表を聞く、どうせ笑われる。いじられる。繊細過ぎた私はそういうものをダイレクトに受ける傾向があり、抑えきれなくなった感情をこぼすように黒板の前に立ったときには泣いていて"やべえやつ"と認識されていたと思います。それでも友達がいたのは周りに優しい人が多かったからなんだろうなともうないものですが感謝の気持がこみ上げます。小学校からの友達はいないので私にとっては全部昔に起きた出来事で終わっていて地続きじゃないのが残念です。

話を戻しますがあがり症だった私にとって何かを発表する日だとか日直の日だとかは死刑宣告を言い渡されているようなものだったのでこれが最後の食事…これが最後の登校…これが最後の…そうやってどんどん自分を切り詰めてしまいます。ここ5年ぐらいはそういうことは殆どありませんが昔は何かに付けてそうやって考えていました。部屋をあとにしたとき、あのときのように後にはしましたが経験則から結局なんだかんだどうにかして帰ってくるんだよなと言うのはわかっていました。そうやって何度も何度も戻ってきてどうにかやってきた自分が今そこにいるのが何よりの証拠です。戻ってこれた分だけかさぶたになって傷跡は経験になり糧となって今があるんだろうと思います。

 

面接の前、同伴をお願いしていた人と打ち合わせをしました。どんなことを聞かれるのか、どんな対策をすればいいか。普通のよくある面接だと思えば大丈夫だと思うと言われ安心した直後に面接なんてもう2年?3年?やっていないのでそれができるのか?大丈夫なのか?と思いながら自分の根本考えである「面接は会話をしに行く場所」を強く頭に描いて自然体で行こう、ときめました。

早めに打ち合わせが終わって好きに過ごしてていいということだったので一旦離れて一人で過ごすことにしました。コートを着ているとは言え、スーツを着て歩くのは自ずと背筋が伸びます。変な時間にコート着て歩いている自分はさながら新卒の就活生そのものを思い出させ、様々な記憶を思い出しながら地下を歩いていました。

ご飯に無頓着なのでカロリーメイトとお茶を買って適当に座れる場所に座ってそれを食べ終えた後色々と構想を立てていました。自己紹介をしてください、と言われた事があるらしいと聞いて自己紹介を考えたりもしていました。会話をしにいくにしても初対面同士であるのは事実なのでどのようにしたら有り体のわたしが伝わるのか、屈折しないで等身大の自分を見せれるだろうかと考えました。

 

そうこうしているうちに待ち合わせ時間になり待ち合わせ場所にいきました。そうなると流石に最初は薄かった緊張も強まってきます。落とされたら、というよりどんなひとが・どんな空間が待っているのかわからない感覚が怖く感じられたのです。しかし同行者もいたおかげで余計な不安を感じずに済みました。そうして時間になり指定の場所に向かい支店長と初対面です。優しそうな方でした。

よくある大きな部屋に面接官が数人に横テーブルが1つ、椅子が1つというような感じではなく打ち合わせをするような仕切りのある個室に連れて行かれました。そこで書類の返却やアンケートの記入などが求められ、書いていました。それを書き終わると面接が始まりました。

病名・現在の病状、通院・投薬については特に重点的に聞かれました。寛解に向かっている、頓服などを服用しセルフコントロールはできていると答えました。

話を聞いていくと月給制かと思いきや時給制(残業なし)ということでおかしいなあ…と思いつつも評判自体は悪くなく心への負担は少なそうなのでひとまず合否まちという感じです。私の不安に思ってることや入社できたときに改善させてほしいことなども言えたのでこれで落とされてもこれからの生活が若干困りますが縁があれば良い環境で過ごせるんじゃないかなと期待しています。

 

面接が終わって家に帰ってシャワーを浴びた後疲れ果てて仮眠を取るために寝たのですが目が覚めたら朝になっていました。15時間寝てたみたいです。眠剤なしでそんなに寝たのは久々でした。ただ先に書いたとおりあまり睡眠の質は良くないので相変わらずというかんじでした。ぐったりした状態でぼーっとすごしてやるべきこともやらずに1日が過ぎて、それだけ気疲れというか不安だったんだろうなという感じです。合否がわかるまで不安では?と思ったのですが案外そんなこともなく今も過ごせています。来週、合否に関わらずハローワークにはいってくるつもりです。

 

久々の日記でどうかけばいいのかわからなくなってしまいいつもなら1時間ほど休みなく打ち続けてそのまま出すものも1日置いて下書きに加えて書く形になってしまったこととそれのせいか内容が思ったより希薄してることにちょっと微妙な気持ちになりながらも今日は現状報告というかやっと就活し始めたんだよという感じのまとめでした。来週は1ヶ月ぶりの病院だったり色々と所用もありますがどこかで日記を書いていくつもりです。今年もよろしくお願いいたします。