@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

軽率

最近思っていることがあるので書こうと思います。誰かのことを指し示して言うわけでも晒し上げたいわけでも咎めたいわけでもありません。本当に私の思うことを書こうと思っています。

 

その前にここ最近のことをメモ程度に書きます。

ここ数日の湿気と暑さで慣れない道民は気が滅入ってしまいますが起き上がれなくて結構な熱中症になってしまったみたいです。寒気もして腕も痙攣していてやっとの思いで家の近くの自販機のアクエリを買い占めてひたすらに飲み干していました。救急車を呼ぶか本当に悩むぐらい苦しくて何回か眠ってしまったのですがアレは気絶していたのかなあと少し震えています。あのとき明確にここを冷やすといいとかアクエリを薄めてのむといいとかアドバイスをしてくださった方ありがとうございました。そういうことをしていなかったら今どうなっていたかわかりません。まあ素直に救急車呼べって話ですけどね。そうやって意識が朦朧として1日か2日を過ごしていたので今週の曜日感覚が曖昧になっています。日記もそのせいでかけなくなっていました。

昨日は野暮用を済ませた後就労支援センターにいって面談をしてきました。少し痩せた?と言われたので熱中症の話をしたのですがそれはもしかしてやつれてるのかもしれないね、ちゃんと食べないとダメだよと言われ最近の病状の話やこれからの話をしました。ハローワークに行くのでそのときにこの人に会うといいよとある人を紹介してもらい少しずつ順調に物事が進んでいるように思います。暑いけれど外に出ることもできているので悪い方には進んでいないんじゃないかと思います。

 

 

今日書き残したいのはそれらがメインではなく鬱に対する認識について思っていることを書きたいと思っています。

私は他者と接する場合極めて普通に喋っていると思います。それは鬱であることをちらつかせる理由が全くないから。仮に知っていたところで心配をかけたくないから。他にも理由はありますが考えてることをそのまま言葉に発しているわけではなく調子のいいときには楽しく話しています。

それなのに調子のいいその側面しかしらない人たちが私のすべてを知っているかのように話すのです。私の持っている鬱という病を一つのコンテンツのように弄ぶように扱うのです。メディアが一部分だけを切り取って本来の意図の真逆のことを報道するのと似ていますね。

生きてほしいとか死なないでほしいとかそういう言葉はこの際まだいいんです。ああきっとそういう人が周りにいなくて知らないんだなと。私の状況をわからない中でもどうにか寄り添りたいんだという気持ちが汲み取れます。それらはタブーと言われている言葉ですがもはや言われ慣れているのでどうにか処理できます。最近言われることはそういうものではないのです。

鬱なのに楽しそうだね?元気そうに喋ってるけど働かないの?普段何もしてないの?なんで?鬱病のやつがなにかいっているぞ、と。

そういう言葉を聞くことが増えました。言うのは決まって私の経緯などを知らないような人たちばかり。自分が明るく振る舞おうとしていることがダメかのような、病人は病人らしく振る舞えというかのようなそう責め立てられている気分になるのです。私はおおっぴらに鬱病であることを公言していますがあくまで誤解を生まないようにすること、私がそれらを隠して取り繕うことが下手だということなど理由があって人を寄せ集めたいわけではないのです。この日記だって読みたい人が読めばいいと思っています。常々死ぬことを考えていたりふさぎ込んでいる自分の備忘録ですから。

明るい?楽しそう?それは他者という存在があるがゆえの振る舞いです。仮に傷ついても笑ってやり過ごします。その都度その都度場の空気を冷やして病んだような振る舞いでもしてほしいのですか?そうやって振る舞ったところで空気の読めない人間として嘲笑って一蹴するのがオチなのに?

鬱というものをファッションのように扱っていませんか?SNSにはびこっている気色悪いメンヘラと同じような扱いを受けているようで非常に憤慨しています。1年以上投薬を続けて診断書も頂いています。いくらちゃんと喋れても薬がないとろくに眠れないし安定剤がないと気持ち悪い塊が身体を這うような感覚に襲われるんです。そうやって説明しないとわかりませんか?

死を横に並べていつそちらに行こうかと考えていたような人間がその思考は消えないながらもようやっと生きるために頑張り始めたところなのです。文字には起こせないような思考を今も常にめぐらせています。いつだって死ねる。だからどうにかやりすごすか。そうやって自分を駆り立てているのです。

笑っているからといって元気とは限らない。それは鬱病じゃない人間でもありえることでしょう?そんな簡単なことがなぜ私の周辺では理解されていないのか。私の振る舞いというフィルターを挟んだだけでまるで芸人の持ちネタの一つのように扱うのか。本当にやめていただきたいです。そして私はいいとしても私以外の被害者が生まれないように他の鬱病の人間にそのようなことを言わないでほしい。

 

今まで100を超える日記を書き続けていてこれらを見てもまだそのように言ってくるのですか?私は私の思考を読み取られたって構わないです。私の病状を事細かく把握されてても構いません。そういう事実を知らなくてもいい。どちらにせよそこにいるのは日常を当たり前にしようと笑って振る舞っている私。それ以上でもそれ以下でもないものを見てほしい。

あなたという人と接しているときはその事実を忘れていたい。一人でいることの多い私は対話のなかで泡沫の夢を見ているも同然なのです。一人でいるとやはり考え込んでしまいます。それを解放してくれるのが他者の声であり会話なのです。

病のことをこれ以上公の場で掘り下げないでほしい。これが私の気持ちです。ネタのためにそうあるわけでもなくコンテンツのためにそうあるわけでもなく、そうなってしまってそれに向き合って治療をしつづけているのです。あなたはガン患者に対しても同じようなことを言えますか?きっと言わないですよね。同じ病気というカテゴリーなのにその違いってなんなんでしょう。

普段の話し方やふるまいからいじられやすい立ち位置にいることは十分理解しています。でもその中で摩耗していく物があるのも事実です。その場その場で自分の言葉でどうにか相殺しているつもりですが相手の些細な発言で落ち込むこともあります。相手に言われて焼き付いた言葉は忘れたくても頭にこびりついてこすってもこすっても落ちないのです。そういう言葉に限っていわれた側の気持ちというのを考えていない投げやりなものばかりで余計やるせない気持ちになります。

こう言われてどう接していいのかわからなくなる人もいるかも知れません。ただ鬱というものにフォーカスを当てないでほしい。それだけなのです。あなたが私と会話した中で私が鬱病をメインに扱ったトピックスを示したことありましたか?掘り下げるのは大概他者であるあなた達です。私は日記とツイッターのちょっとした間でつぶやくぐらいでしかアウトプットをしていません。そこに他者はいません。己へ向けた文字によるアンサーのようなものです。

そこにいる楽しそうに話している私と対話をしてください。それがハリボテで裏が見えそうでも見ないふりをしてください。私は鬱を特別誇らしいとは思っていません。そうでなければ薄めるために今こうして努力をしていません。この1年と少しを無駄だとは思いませんがコンテンツのように、おもちゃのように扱われると無駄だったのかもしれないと思ってしまいます。

 

書いていて悲しくなりました。なんでこんなにどこにもぶつけられない悲しい気持ちがこみ上げてくるんでしょう。私が悪いんでしょうか。私が笑わなければよかったんでしょうか。私が会話をしたいと、会いたいと思わなければよかったんでしょうか。いいや、そうならば私はもっと昔から間違っていたのかもしれません。

あなたたちの紡いだ軽率な言葉は今も私を蝕んでいます。どうせ蝕まれるのならば優しい言葉がいいですね。それはもはや蝕んでいるとは言えないかもしれませんが。

 

それを心配して声をかけてくれる人たちもいました。そこで私は多くを吐露しました。私は自分と他人に大きな線を引きがちですがそうやって声をかけられる以上その人の中に私はいて私には元気でいてほしいってことなんだと思います。そういう人には相応に応えて行きたいです。難しい問題ではあります。私の心が弱いこともわかっています。なのでそこは頑張って行くつもりです。ただ、それだけでもないと思って今回まとめました。不快に思ったらごめんなさい。今の気持ちは上に書いたことで満ちているのも事実です。少しでも早く過去のことになるよう楽しいことを上書きし続けていきたいです。