@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

寝れない人のどうでもいい話

この日記はpostで告知するわけでもなんでもない、ただの独り言です。元々独り言なんですけどもっと独り言です。ノートの端っこの落書きや教科書に挟まっていた紙の裏に書いた書きなぐりのメモとか放課後の誰もいない教室で一人で黒板に書いたものとか。そんな感じです。そんなものを今見ている人は物好きの中でももっと物好きな人間だなと思います。きっと普段よりも読みにくいでしょう。

本当なら8月1日の話でもあるんですがその日としてまとめるにはあまりにも難しいので番外編ということにします。

 

今日はどうにもメンタルが優れなく、体調も優れなく、頭も揺さぶられるようにぼーっとしていました。起きてすぐキウイを食べたのですがその後すぐベッドに倒れ込んで5時間ほど寝てしまいました。なので寝れないのでこの時間です。本当なら病院に行く予定だったんですが明日も行けるか怪しいです。様々な夢も見ましたがメモがあるのでそれはまた今夜にでも。

 

体力がないながらいつもどおりの生活をしていました。頑張って買い物にも行きました。今日もなんだかんだ普通に終わるなと思っていました。そのとき突然友人から私にとっては鋭利な言葉を送られました。ずっと見てて思ったけど何をやっても言い訳をしてごまかしていると。悪くないから受け止めてみたら良いと。平たく言えばそう言われました。そのときに気づいたんです。私はまだまだ回復しきっていないんだなと。

友人が悪いわけではありません。本当なら大切な新たな視点として受け止めるべきなんです。頭ではわかっていたんです。私に向けてのメッセージだということを理解はしていたんです。それでも私は必要ないと言われている気がしました。堅い口調からは鋭利な刃物を突きつけるような恐怖を感じました。やはり自己肯定をすすめてはいけないのだと思いました。受け手の私にはそれを受け止める力が不足していました。あまりに突然で、あまりに強烈で、あまりに悲惨で。様々な感情が脆い平常な心を飲み込み、崩していきました。そして気づけばデスクには涙がこぼれ落ちていてそれに気づいてから涙が更に溢れて、嗚咽がでて。先日とは違う悲しい感情が溢れてでてきた涙をどうすることもできず10分ほどパソコンの前で顔を覆って泣いていました。

結局全ては""言い訳""、何を言ってもそれはすべて言い訳で一蹴されてしまうんだと。今私にとって1番トラウマとなっている言葉を突きつけられました。SNSですら合理化は許されないことなんでしょうか。私はそこでさえも我慢をし続けなくてはいけないのでしょうか。生きるのが難しい自分にとっての掃き溜め、帳尻合わせ。そんな場所と思っていたはずなのにそこから得た断片的な情報と知識を元に作られ向けられた武器がどこかで静かに少しずつ私が積み上げてきたものを崩し、心を突き刺し傷をえぐられました。

この一ヶ月はまず人並みの生活ができるぐらいの体力を戻すこと。そして自分が生きていいと自己肯定感を持つこと。それに専念していました。死による解放を求めているわけでもないのに漠然と脳裏に焼き付く死という概念を振り払い、十何時間も寝ないと動けない、起きても今までの何倍も体力や気力が必要なぐらい体を動かすのがしんどくて。目から入る情報も耳から入る情報も全部煩わしくて。どこを見ているのかもわからない人としゃべるのには程遠いうつろな状態からほんの少しよくなってきました。後に様々な人に大丈夫だよ。今はゆっくり休もう。何かあったらいつでもおいで。どこかに出かけようか。そう言ってもらってどうにかこうにか横になっている状態から腰を掛ける状態に、そして立ち上がれるかなといった、まだまだ健全者と呼ぶには未熟でしかないながらも最底辺からは脱したんじゃないかなという自分の変化に喜びを抱いていたときでした。

人の簡単な言葉で私は途端に崩れ落ちる。私は自分が想像しないぐらい貧弱で脆くて、どうしようもない人間でした。やっと進めたコマが振り出しに戻ったような、頑張って描いた絵が勝手にゴミ箱に捨てられていたような、そんな感覚に陥りました。

言い訳、ってなんなんでしょう。何も言わなければ何も考えてないのと同じだと思う私は思うことは言うことにしていました。お客様の前では別にしても会社内では正しいことに導いてもらうために言うようにしていました。そうすればその考えは違う、これはこっちだ。と言ってもらって学習するだとか自分なりの考えは持って動いていたんだなと思ってもらってもらえると思ったんです。そうしたら上司にはそれはいけないと言われました。それでも自分のわからないところは聞けと言われます。やったことを振り返るために自分の言葉に置き換えて伝えたことも言い訳だと言われます。そんな中わからないところを自分なりに考えたけどわからなくて聞く、というのは私にはもう不可能でした。どうせ拒絶されてしまう。聞くのが怖い。意欲があっても何かが自分を縛り付けていて、言われたことを実行して怒られて理不尽だと思ってもきっと言い訳だと言われる。だから素直に従おう。と、はい。としか言わなくなりました。そうすればすべてが丸く収まると、もうその頃には思考が止まっていました。

毎日仕事へ向かうときも帰るときも、明日はこの仕事をやらなくちゃな、という仕事に追われる感覚が全くありませんでした。出勤してみても上司はなにも私に言うこと無く私を置いて外回りに行ってしまいます。先輩は私にできそうなことがあってもいや、大丈夫ですといったり電話も私が取る前にかっさらっていくように出るような、そんな仕事をしていました。

仕事への意欲はありました。向上心もありました。何かありませんかと聞いたりさっきの話にでていたこれってなんだったんですか、など聞いたことをメモしたり取り扱う商品のことを調べたり、一つ一つ教えてくださることはわからなくならないように紙に書いて中身があっているかの確認をとった上でノートに貼り付けて自分のための教科書を作って時間があればそれを見てスムーズに物事を進めていこう。そして早く自分の力で何かを成し遂げたいだと思っていました。失敗をしてもこう思って入力したんですけど正しいやり方を教えてください。と考えと要望を伝えていました。私なりに受け入れて、実行に移していたつもりでした。

それでもいつからか私は機嫌ばかり伺い、できることも減ってきて、当たり前のこともできなくなって。仕事ができない烙印を先輩にどこかで押されていたようで風当たりの強さを感じました。人に言われたことをこなすのが苦手なんですね。と生暖かい目線を向けて言った言葉を私はしばらく忘れないでしょう。向上心どころか今日をどうやりすごすか。機嫌を損ねないようにどう振る舞うか。そんなことにばかり意識が行って、仕事が極端にないものだから悶々と考え続けることも増え、自分がまずい状況であることに気づきました。でもその頃には遅くて今の私があります。

何かを発言するのが怖くなりました。それをできることが私の売りであったはずなのに。臆すること無く思うことを言うことで意見のぶつかり合い、知識の引き合いが始まり新たな発見が見つかると信じていました。そうして私は今まで振る舞ってきました。しかしそれはすべて言い訳、の3文字に収まるらしいです。自分の持ち味を全く活かせずどんどん潰されていく恐怖感。確かに合理化するための言い訳も多く言ったときもありました。意見と言い訳は違うから治さなければと意識して治していた最中に言い訳をやめろ、と釘を打たれました。自覚はありました、といったところで言い訳。すみませんと言いました。その後も肯定や提案はなく否定ばかりを上司は与えてきました。私は没個性が社会に染まる第一要素なんだろうなと思いしらされました。それくらい私の振る舞いはすべて社会では不要とされていきました。

社会ではそうでもプライベートではその愚痴を垂れ流してここですべて吐き出してスッキリしておこう、それぐらいの気持ちで今日はこうだった。こういうつもりだったんだけどこうなった。そうやって書き連ねていました。それらの情報で言い訳だと言われたら掃き溜めとして使うなということですよね。ふざけるな、甘えやがってと。私にはそう聞こえました。まだその情報を飲み込むほどのエネルギーが私にはありませんでした。まだ早すぎただけかもしれません。それでも私は同時にSNSにそれらのことを書くことに恐怖を覚えました。今まで使っていた運用方法はもう難しいなと思いました。またそうやって言われて悲しむくらいなら私はどこにも吐き出さず飲み込んでしまえば良いんですから。

自分自身が確立した肯定するものというが何もなく、否定をされれば否定を甘んじて受け入れるのみで私はそういう負債をどんどん抱え込んで行きました。たった3ヶ月でつもりにつもったそれが決壊して生まれた傷。それが治るのは2ヶ月じゃ足りないみたいです。病気かも、ではなくちゃんと病名もくだされて、薬が処方されて、診断書も出されて。私は健康体とは程遠い存在です。順当に回復していってもこうやってまた転んで怪我をすることもあるんですからそこに戻るのはいつになるのかはわかりません。私が感じていた今日から1ヶ月後に働けるか、という所長からの問いにNOと答えたのは正解だったのかもしれません。仮に100人が肯定してくれたとしても誰かの一言でそれが崩れ落ちるぐらい脆いことは証明されてしまったので。

 

そんな中知らぬ間に電話が1つはいっていました。いつかにお話した友人です。その時の私は少し泣き止みかけていましたが心配だったから電話したんだ、というその優しさと言葉でまた涙が溢れてきました。思ったことを言いました。まだ私には恐怖でしかないと。言ってほしくなかったと。自己防衛すらも否定されたようだったと。まるで受け入れてないみたいな言い方をされたけど違うし上司の考えている意図も全く違うと。的外れだけど言い訳という言葉が私にとってはトラウマだったと。それが私のこの1ヶ月を否定されたようで破壊されたようで。振り出しに戻っちゃったよ。そんなことを嗚咽混じりに言いました。そうしたら、前はわからないしか言えてなかったのにちゃんと自分の思うことわかってるじゃん。振り出しに戻ったわけじゃないと思うよ。そう言われました。正直振り出しと言ってもその頃の記憶はほぼありません。あまりにも辛くて脳から消されているんだと思います。それでも変わっているというのですからそうなんだと思います。私が鼻水をかんだり涙を拭きながらわけのわからない思いついたことをそのまま言うような支離滅裂な話をうん、うん、頑張ったねとなだめてくれました。

人に甘えることが昔から苦手な私はそういう人の暖かさにはどうも弱くて。優しくされるだけでどうしようもなく涙がこぼれてきて。悲しくて泣いている涙と優しさに触れて泣いている涙がごちゃごちゃになっていました。そのせいか涙が止まるのは随分あとのことだったと思います。電話越しに泣きながら身内以外に自分のことを吐露したのは多分人生で初めてです。1時間と少しの間ずっと彼女は大丈夫だよと言ってくれました。まだ休めるんだからゆっくり考えな、考えれないことを考えても疲れるだけだからと言ってくれました。

8月はとても慌ただしくなると思います。それでも私は自分の1番幸せになれる確率の高い選択にある程度目星をつけなければいけません。頑張りたいと思います。1度崩れ落ちましたが1つの電話である程度救われました。それでも後退したと思うのも事実です。頭が今も物が散乱した部屋のようにごちゃごちゃになっているのがわかります。それでも実家を離れ近くに人がいなくなったこの状況でもらったその電話からは少なくとも私は居るからねというようなそんな感じに捉えられました。

 

誰かに正解を指し示してほしいわけではないんです。それは自分で見つけるものだと思います。社会とは貧弱な私にとっては荒れ狂う嵐のようなもので、それでも行かなくてはいけないもの。そこにちょっと足を踏み入れただけで私は大怪我をしてしまった。1ヶ月休んでみたもののその原因や将来の選択、社会での己のあり方などまだ考えられないぐらいにしか回復していないんです。

多くの人たちは、これを見ている物好きな貴方も。これらを読んで今後の私の対応に困るかもしれません。きっとそうだと思います。何もできないと思ったら放っておいてもらって構わないです。構ってほしいからいっているわけではないのです。結局は私が一人でふさぎ込んでいるだけなんです。そこにうごめくものはわからない人にはわからないものです。変にわからないものに理解を示そうとしなくても大丈夫です。無理に理解を示したつもりになられるのがきっと一番傷つく行為です。

また、これまでも心配だなと思ってくださる方から個別に連絡をいくつかもらったり遊びの誘いを受けたりしますがそれには感謝をしています。嫌だなと思ったものはありません。許されるならそれは変わらずやめないでほしいなと思っています。そこらにおける私はきっと大丈夫です。そしてそれは数少ない私の生存の確認にもつながると思います。

しかし、ナイーブになりがちなのも事実なのでそうはいえど困惑させてしまうこともあるかもしれません。基本的に人前では理性的であるはずなので感情的になることはないと思います。それでもきっと回復には多くの一人の時間も必要です。それでも元気になる瞬間というのはあります。そういう時には人との交流を求めると思います。そういう人は多くはないのですがもし許されるなら相手をしてくれたら嬉しいです。

あまり人が見ないであろう日記にこんなことを書くなんて馬鹿げているなと思いましたがそれはそれで。今日は深い傷を負いつつも自分を再確認する大事な時になりました。8月はそういう月になるのかもしれませんね。明日、いや今日?も頑張っていきたいと思います。おやすみなさい。