@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

折檻

今日はあまりにも長くて、私にはカロリーが高すぎる1日で、ここ最近のなにもない引き出しを探ってるような感覚にあるべきだったそれが押し寄せてくるような、だからといってどうしようもない、感情の上がり下がりが激しく、虚しい時間だったと振り返って思います。

 

珍しく怒鳴り散らす、などしてしまいました。怒るということをしたところで最善策が降ってくるわけではないのは自明の理なのですがいわゆる正義感というか腑に落ちない部分が出てしまったんだと思います。

私が仮に特出した犯罪なんかをしたとして手帳を持っているとわかれば「そういうやつ」というカテゴライズがされます。それは私から遠ければ遠い人であるほど「そういうやつ」としてしか見ることができません。「そういうやつ」故に守られている。マイノリティほどでかい声をだす場所を"用意されている"ということになぜ気づかないのだろうと思います。まあそれはいいんです。カテゴライズされるため、守られるため、異常者であるという自認、様々な意思表示の省略がそれなので。

悲しかったのはそういうことではなく。親しき仲にも礼儀ありなんてありきたりなこと言いたくはないのですが近くにいて知っているからこそ自分はメンヘラだからって言い訳できるもんね、という言葉が虚しかった。ああ、これ私にピント合わせてくれてないや。ってかんじで。こんなに近くにいるのにいろんな言葉が刺さったように言っていたあなたがそれを言ってしまうんだ、ってその時は思ってしまい、飽き性で無駄なエネルギーを使うことが嫌いな自分が強く出ていたらさっさと音信不通になっていたと思います。

25をすぎてから如実に人とのつながりがとぎれとぎれになっていく昨今、無駄に人情とかが出てしまいなあなあにしていたそのつながりをどうしたものかと考えながら冷静になってこうで、こうで、こう。これはこういうことで、こういう意味。それはこれを意味はしていない。と自分を戒めるように相手に説明をして理解されたかは別にして謝罪を頂いて落ち着くところに落ち着いたので私はもう終わったこととしているんですけど、そんなんだからなめられるんだよと別の方から言われました。まあ嫌われてなんぼみたいな(間が悪い)日々なので今更なめられようななんだろうがなんですが主張に一貫性は持ちたいし嫌な部分ばかりぶり返させても楽しくないのは見なくてもわかることなのでこれから善き方向に向かえばいいだけの話だと思っています。

 

そんなことを言ってるんですけど昨日ワクチン1回目を接種してきて全く痛みのない注射をうけて送迎までしてもらいいたれりつくせりだったのですが体温計を紛失している関係もあって熱がわからない(高熱ではない)、割と動ける、あれ?という感じで先延ばしにする予定だったものをいくつか片付けて来ました。

今でこそ結構外に出ることも増えましたが外に出るのってエネルギーが必要なんだなと再認識しました。そんなに気温も高くないのになんだか力が入らない気がする。病いは気からとはよく言ったもので精神性のものなのか副作用なのかわからないけど外にいることに少し疲弊を感じる。早めに外に出てみたら店が閉まっていた。病院に行ったら今まで見たことがないぐらい行列だった。イレギュラーに振り回されたのもあるかもしれませんが信号を待ってるときぼーっとしてしまってあー今日は何も文字に書き起こせれないな~今日も何も残せないのかあツイートは増えるのにみたいなことを思っていたらこうやって書いています。熱量がまだあるんですよね。感情が強く出たり疲労しているとノイズをすり減らそうとするようにツイートをしてしまうのがこの10年以上続いているのでTLがめちゃくちゃになっていたら申し訳ないです。昔はアカウントをわけてあっちこっちとできたはずなのにそれができなくなってこちらの界隈に向ける自分、一方で今ホットなこちらに向ける自分、それはそれとしてマイブームなこの界隈での自分が全部一緒くたになってしまっているのがTwitterのアカウントです。分けている人からしたらずーーーーーーーーーーーーっといるな本当にって感じだと思います。「あんたがつぶやくから読んでるうちに自分つぶやかなくていいかってなる」って言われたりしたこともあります。読んでくれて嬉しいですけど。

ワクチンの副作用大したことないな~初回だからかもなあとか思いながら帰路について一応横になっておくかと思って横になったときの寝返れない感じでねれないまま夕方になっていました。このなんとなくそれっぽい不調がジワっとなくなっていって終わり、なんですかね。調子こいて2回目でバテるのがもう見えますが…

あと予約云々のやり方が本当にわからなくて(暑さにやられて頭が回ってないのかもとから不器用なのか全部なのかわからないけれど)病院を選べる?集団接種?なに?みたいになってました。優先接種ができるらしくて登録してから予約、とか段取りあった気がするんですけど言われたことと違ったりしてパニックになったりして生きるのが本当に下手だな~~とか思いながら電話で確認したりしました。市によって違うとなるとネットも普段より当てにならないので普段いかにウェブを自分の知恵と誤認識しているか、受動的になりすぎていること、最近やろうとする能動的なことを積み上げっぱなしにしていることを思い出します。こうやって書いたことで満足したりとかありそうです。生きる上で最低限せねばならんことはなんとかやっているのだけれど酷暑にやられ丁寧さからかけ離れ始めているのでマンネリ解消したいところです。

 

とあるゲームで報酬格差がひどすぎると話題(炎上的な意味で)になっていて自分はほぼ最低保障でハズレ側だったんですけどアレって結局当たり引けた人たちが何を言ったところで焚き付けてる原因になってしまうだとか真剣にやっている人たちが真価を知っているからこそ虚しくなるとかそんな当たりだろうなと思ってて

まあわかりやすく言うとほぼ50:50で10万円商品券もらってる人とティッシュもらってる人が生まれたって感じなんですけど当たりが割と近いところにあるせいで人間の醜い部分がむき出しになってしまったんだと。宝くじ1億円あたったというのをネットで見たところでいいな~と思っても許せないとは思わないと思うんです。ほしいのに遠くにあってほしいってすごい皮肉感。当たりなんてお飾りでいい、みんなでハズレで笑おう、って感じですかね。あとすごい即物的すぎてむごいなと思いました。かくいう私も温まってしまったのですが別にティッシュもらったことにイラッと来たわけではなく当たりでたけど君は?みたいな典型的な煽りにピキってしまったんですよね。まあ先述のこともあってそもそもほとぼりが冷めてきたってころだったので余計。あまりに浅はか。愚かですよね。そんな煽りに焚き付けられる自分も愚かだしそんなことで煽りを意図してしてしまう人たち、大体しつこいんで耐えきれなくなっちゃうのが敗因なんですけどね。迷惑かけずに黙って一人ではしゃいでてください…

 

誤字脱字を指摘されて嬉しい・嬉しくないという話題がありました。私はこの日記は推敲しないのでまあ誤字脱字くさるほどあると思うんですけど作品とかをかいたときにそれを言われたら「感想よりそっちが目立つんだな~」って思ってしまうのが本音です。詳しい記事を読んでいないのでそのトピックスだけを見ただけの感想になっちゃうんですけど自分が見つけても指摘しようと思ったことが一切なかったので(→そこを指摘しなくても作品の流れはわかるし脳内補完できるから)驚きました。注文したものと違うものが来てもアレルギーとかじゃなければそのまま食べちゃうタイプなので気にしなさすぎなのかもしれないですけど…自分が仮に感想より指摘が目立つと認識してしまったら完全なんて存在しないのに完璧を求めてしまう完璧主義とかいう悲しい思考を持ってしまっている以上自分ができるだけのことはしないと、じゃあここの流れは不自然?この文字列なんか気持ち悪くない?そうやって違う場所では個性と呼ばれたかもしれないそれらをすり減らしてどこにでもあるようなありきたりなものしか作れなくなる。

自分が作品らしい作品を残し続けてこなかった理由なんですよね。不可逆なのにそれらすべてを「私」としてくくられてこの時はAという思想に近いのに今はBという思想に近い!おかしい!なんて指摘されたらめちゃくちゃになるのは容易だと思うんですが今って割と似たケースがまかり通っていて言ったもん勝ちみたいになっているんです。人間は時間経過とともに変容する、学習・転機などがあって考えや文体、絵のタッチや色使いが変わることなんてザラなのに同じ天秤で計ろうとするものがやってくる。そもそも比較ってのがおかしいと思いますが。

文豪の落書きとか死んだあとありがたがって展示とかされてるじゃないですか。自分が著名人になるなんて思ってませんがそういうのみると「死ぬときに私とわかるものが一つでも少ない状態であってほしい」と思ってしまって可能な限り過去がわかるものを捨てて、燃やして、埋めて、流して、消してきたんです。だから私の過去作は基本ありません。非公開、削除してしまいます。私のメイン作は常に今って感じで。ホームページなんて何回1から作り直したか、ペンネームも何回かえてきたか、ノートも何回かい直したか。何度もやり直して、そのたびに過去の自分を抹殺しているんです。だからTwitterとかこういう日記って本当に奇跡に近くて、書くことはやめなくてもどこかにふと消えていってしまう。Twitterが起点になってくれているおかげで今はそこまでふわふわしてないんですけど音信不通になりがちな人間だったりもするので。全てに後腐れだとか有りもしない理由付けだとかされたくない。自分のことは自分で終わらせたいんだけれどもどうしても身体は置いていかなければならない。だからせめてそれ以外を

そう思っていたのに最近部屋を飾ることを楽しんでいて生活感にみちみちていてわからなくなっています。完成を目指しています。それは変わらないんですがコレがその一部とは思えない。何がしたいんでしょう、本当に真人間にでもなれると思っているんですかね。

 

といろいろ打っていたらとんでもない文字量になってしまいました。そういや手書きまとめようとかいってたなとか今思い出しましたがやらなそうな気がしてきました。今月はほとんど書き留めれてなくて書けない自分がイヤで見ないふりとかペン持たなかったりもしてたので。言ったことほどできていないけれど言わないと形にならない、難しいです。

この熱量が毎日程よく分配できれば良いんですがそんな器用だったら今こんな事書いていないんですよね。残念です。ただその熱量を抱えられるだけ元気だということでアイスノン頭に置いて寝ようと思います。ではまた。