@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

独善

なんか気づいたら7月折り返していましたね。そろそろなにか書こうと思って書いてます。暑いですね。暑いのにマスクをつける、歩いている人がみなマスクをしているのを見るとディストピアか?と思ってしまいます。いつまでこの奇妙な光景はつづくんでしょうか。

あいも変わらず体調がよくないことが多く、病院でも月2でくるのしんどいだろうから1ヶ月分出しておくね、と言われた始末です。また点滴をうっていくことになったのですがその時の看護師さんの針を刺すのが下手で腕がアザだらけになってまだあとが残ってます。私の血管が細いのが悪いんですけれど…結局手の甲に刺されました。かつて入院したときに手首に刺されたのを思い出しました。

 

最近はやりたいと思ったこと、やらなきゃいけないこと、うまくすすめられずにいます。バランスよく食事を食べれてないからなのか気圧なのかわかりませんが眠りを欲する時間が日に日に伸びてかといってずっと寝てるかと言うとそういうわけでもなく3時間起きるようなそんな感じです。なので前日まで行く気満々だったことも当日になってこれは起き上がれないやつだ、とキャンセルをいれることも以前より増えました。熱があったりバテたりもします。当日になってからキャンセルをいれるというのは私にとって本当に申し訳ないでは済まないぐらい気が沈んでしまいます。仕方ない、と割り切ってもいいのかもしれませんが人が関わっていることを簡単に忘れてしまうのはよくないと思っています。その人の時間を奪い取ったようなものなのでとても神経質になり、罪悪感に包まれます。大丈夫だよ、気にしないでいいよ、そう言ってもらっても自己反省は続けています。愚かだなあと何もできやしないとベッドの上で別のことをしていてもくすぶっています。前までは這ってでも行かないと、としっかり準備して外に出れたのですが本当にだめになってしまったんだなとこういうときに考えてしまいます。

 

そういう話をしていると「連絡もなしに平気で遅刻して謝りもしない人間」などの図太い人間が一定数いる話になりました。そういうやつだから、と割り切ってうまく付き合っていってる人たちも知っていますが基本的に学校の遅刻と違ってそれこそ人様に影響を及ぼしますよね。連絡がないとこないかもしれない、でももうすぐくるかもしれないし、と動けない時間が何分も続くことを意味します。それが一人とは限らず、数人が待っているかもしれない。それでも待っていて当然よね?という顔で訪れるのはそれだけ人様の時間を舐めているということですよね。素晴らしいぐらい立派な図太さだと思います。そうはなりたくありませんが。

私の周りにはあまり1時間単位で遅れてくる人はいませんでしたが(そうなってもすぐ連絡が来ます)話を聞くうちになんでこんな人達が普通に過ごせているんだと疑問に思いました。憎まれっ子世にはばかるとはこのことなんでしょうか。

 

まあいつもどおり体調悪いんだねという感じですが前回の日記時よりもより食事は食べれるようになって、最低限のことはこなせる日は増えました。気持ちの振れ幅もあまりなく、気持ちは落ち着いた日々が続いていてそこは嬉しい限りです。一人でいることが多かったからなのか静かな時間を増やしたからなのか食事を摂れるようになったからなのか、怖い・頓服を飲まないと、という回数は減りました。ただ食べるものに偏りがあるのは事実なのでビタミンをとることを意識していこうと思います。それがないことで餓死をする若者が増えている、という記事を見かけたので。去年、熱中症で意識がなくなりかけたので熱中症対策もしっかりしています。今年はそんなことにならないと良いんですけど…

 

気にしたくないものに過剰に意識を向けたりせずまず自分の精神と身体を大事にして、やるべきことをやって穏やかに過ごせたらと思っています。何もわかろうとしない私を見ていない人たちの言うことなんて聞いても頓服が増えるだけです。久々にとてつもなく怒りを覚えることが先日あったので改めて自戒しました。聞く耳を持たないほうが懸命です。先の遅刻の話といい自分しか見えていない人の価値観というのは全くわからないですしわかりたくないですね。おぞましいです。

こんな私に対して父曰く祖母がまた脳梗塞を起こしたらしいのですが相変わらず元気らしく恐ろしい生命力を感じました。その病を乗り越える力はどこから来るんでしょう。羨ましいような羨ましくないような…もう少し生きたいですがあまり長生きはしたくないのでそんな微妙な気持ちでした。

 

最後に余談ですがしれっと日記を書き続けて2年経ってました。月2ぐらいのペースになってますが忘れずにあ、書くか。といって書く習慣がついているのは嬉しい限りです。ほんとに中身がないことばかりですが中身のないことを文字に起こして日々の流れに中身があるように見せる・感じられるこの作業は嫌いじゃないので嫌になるまでは続けたいです。それでは。