@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

物忌

おひさしぶりです。2週間ちかくあけてしまいましたがその間実家でゆっくりしていました。前回もつかれてこうやって書き留めることから距離を置いていた実家に帰る直前相当参っている部分があったことと戻ってきてもあれやこれやといらない問題がつもって嫌気が差してしまって手につかなかったのほうが正しいかも知れません。色々と思い出したことを色々書いていきます。

 

実家に戻っている間美味しいごはんを食べて色々なことを家族と話して極限のストレスフリーの環境を作り出せたと思っています。ここ1年で1番笑うことが多かったと思います。それ故に見えてくる今まで見ないようにしてきた周囲の人の噛み合わない部分というのも浮き彫りになってきました。それは自分が当事者ではないような第三者のような視点でした。

そして特に目につく事が多かったことは自分を形成する何かを持っていない人は何かと比較し、大体決まってそれを蔑む事によって優越感や承認欲求を満たしているということでした。弱い犬ほどよく吠える、という例えが正しいのかはわかりませんが根底はそこに通ずる物があると思います。それによって生まれるコミュニケーションの輪というのは歪になってしまうのであまり良くないとは思いますがきっとそうしたくてそうしているわけではないと思いますし本能に近い部分だと思うので私にはどうしようもできないことだなあとも思っていました。

あと自分がないがゆえに他人に己を求める人もいました。なんというかその人達が生み出す人間の醜い感情は川底に溜まったヘドロのように私の足元をつかみとろうとしているのがわかりました。私なら応えてくれる、私は自分を見てくれている!自分を見て!直接私に言っていなくても発言1つ1つから簡単に汲み取ることができます。その言葉がダイレクトに脳に刺さるのです。ああそうしてほしいんだろうとわかります。そこに従えるほど人ができていないのでご機嫌取りになったつもりはありませんと大体一蹴してしまいます。私は私の環境を作っていって酸欠にならないよう努めていました。なので余計その色味が強くなっていった自覚はあります。いつまでもこんなことをしてもいられないのですが最近はそういう人たちが多い印象でした。何も知らない人であれば特に思わないんでしょうが特に私の事情を知っている人たちがそういう行動をとってくるのはなぜなんだろうと考えていました。その結果が先の通り自分の中に自分がないからなんだろうなと答えが出ました。それか寄り添っているつもりが私にとっては負荷になってしまっていたという認識の齟齬かもしれません。

一人でいる時間が多かったのと実家というストレスフリーな環境に入り浸っていたのでそれらが際立っていやに思えて仕方ありませんでした。きっとそれは少し人が違ったり言葉の選びが違ったりすればそうやって思ってくれている人がいるんだと思えたのかも知れませんし私の教養や視点の少なさ故かもしれません。ただそれらが屈折して見えてしかたありませんでした。更にそういうことが立て続けに起きたので若干パニックになって片付けるのに少し手間取りましたが突っかかっていた部分は解消できたのでよかったです。

 

そんな事を考えたり片付けたりしながら実家で何をしていたかというと何もする気力みたいなのがなくて昼ご飯を食べたあとはぼーっとしているか仮眠を取るかのどっちかでした。夕飯のあとは家族と過ごすようにしていました。実家は閑静な住宅街にあるので昼過ぎに横になると本当に無音で心地よく眠れました。ただその睡眠は何もする気力がでないから、部屋がすごい寒いから毛布をかけて寝ようという惰眠だったので罪悪感はありました。もう戻ってきたのでその回数は減ると思いますが気をつけたいです。

あとメガネをかけて天井を見るとシミがよく見えるなあとかそんなどうでもいいことをしてました。前よりもまた視力が落ちたのでいい加減コンタクトを考えないといけないのですが目に何かを入れるのが嫌で、かといってメガネが似合うわけでもないので手元が見えているうちはいいかと裸眼で過ごしています。でもいざ久々にメガネを掛けると情報量の多さに困ります。そうやって私は色んなものを見落としてきたのかなあと思ったりもしています。

実家にいる間ゲームをしたり読書をしたりしたいなあと思っていたのですがこの調子だったため頼まれた作業すら頓挫していました。気が滅入っているという自覚はなかったのですが気力がでないなあという怠惰が常にまとわりついている感じでした。

 

帰る直前、お母さんにこれからの動きというか予定を話しました。そうするといいんじゃないと言ってくれて安心しました。後少しだけど焦る必要はない、大変かもしれないけど頑張ってねと言ってくれたので頑張りたいと思っています。生きていればなんとかなるんだからと口癖のように何度も言われたのでやれるだけのことはやるつもりです。

そしてその後に次実家に来るときは雪が降っているのかなと考えたりして一人寂しくなっていました。帰れるうちにたくさん帰ってくるからといって実家を後にしてきました。お母さんに笑顔で見送られたのですがそれを見てから一人で歩き出したとき名残惜しい気持ちになりました。夢から覚めた後のような感覚でした。でもそういう気持ちが1ヶ月2ヶ月と経つとすり減っていき、帰省する直前には若干の面倒くささすら感じるのを知っているのでそれもなんだかなあと思っています。

 

そうやって昨日札幌に戻ってきたわけですが今日朝の5時に目が覚めて二度寝ができなかったので起きて準備をして買い物にいきました。冷蔵庫の中が空だったので病院帰りにと思っていたのですが早めに済むに越したことはないので30分ぐらいで片付けてゆっくりしていました。なんだか有意義な時間の使い方をしているなと嬉しくなりました。

病院にいって薬もあっていて寝れないとか精神が不安定になることも減ったので問題なかったです。強いて言えば体力のなさが目立って眠る時があるぐらいです。という趣旨の話をするとすぐに診察が終わりました。3分か5分かそれぐらいだった気がします。今まであの薬が合わないこの薬もあわないという話や書類を書いてもらったりなどで30分以上かかっていたときもあったので先生も安心したようでした。実家から戻ってきてすぐなのでこれからの変化がどうなるかが大事だともおっしゃっていたので意識的に動くようにしようと思っています。

支払いなども済ませて今日やるべきことを終わったとき、まだ昼過ぎて時間がたくさんあるように感じました。肩こりが悪化して肩と背中が痛いのが煩わしいですが今日も過ごしやすい1日だったので昨日やらなかった掃除を少しした後お風呂に入ってゆっくりしようと思います。無人の時間が長かったため若干ほこりっぽい気がするので換気もしっかりしておきます。先月のような熱帯夜がなくなったことに安心しつつ瞬く間に夏が終わってしまうことに恐怖を覚えています。時間の経過を感じると事あるごとに恐怖を覚えてしまうのは自分が何もなせていないとわかっているからなのでこれからを良くすることを考えていきたいです。

 

久々なので日記の書き方が少しわかんなくなってしまっています。一言日記やメモ程度に書き留めておけばよかったなと後悔しています。相変わらず読みにくいと思いますがまた少しずつ慣らしていくのでよろしくおねがいします。

今週はやることも多いので書きたいことも増えると思っているのですがめんどくさがってまた溜めてしまうかも知れません。それでもできるだけ書き残していくつもりです。また書きます。それでは。