@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

1年前

丁度1年前、自分に何があったかっておぼえてますか?2018年の6月18日。誰かにとっては当たり前の日常で誰かにとっては大切な日だったかもしれないです。私にとっては忘れられない日です。

いつから症状が出てきたかは覚えていません。ただ病名をもらったのはその日でした。17時半が定時の会社なので退社は早くて18時。それ以降の受診ができる病院を虱潰しに電話をしてその都度症状や理由などを言うのですが夜間の受診を受け付けている場所もあくまで再診の方向けなので初診は14時までに来てほしいだとか以前に心療内科を1度だけ受けたことがあるというとなぜそこに行かないのですか?と門前払いを食らったりしました。それでも助けが欲しくてひたすらにひたすらに昼休みやトイレに行ったときなど時間を見つけては電話をしていました。心に余裕がなく、すり減っていました。

その病院、以前まで通っていた病院は予約がなく、18時半まで受診ができるのですがその日は急いで帰ろうと会社を出たら私によく話しかけてくれていた会社の40代の方が送っていくぞと言ってくれてそのときに風邪を引いて病院に行くのに最寄りの駅まで行ってほしいとお願いしました。そうして送ってもらった後急いで駆け込んで受付に行ったときはもう受付はおわっていますと言われたのですが事務の方が機転を利かせてくださりどうにか受診することが許されました。死んでしまいたいと先生にいったのを覚えています。目が血走っているしそんなに疲弊しているなら精神科のほうがいいのではと言われそこまで待てる自信がない、どうにか今の状態がおかしいことを証明してほしいということを言った気がします。そこから半年お世話になることになりました。その後も数日は会社に通いましたが雪崩のように心が崩れていって結局泣き崩れて休職しました。何かと書類を書くときに初診日を記入することが多々あります。その都度2018年6月18日という日付を書くことになり、その都度頭にその日付が刻まれていきました。そしてもう会社にいたという事実が1年以上前のことになろうとしています。

前回と同じようなことを改めて簡単に書きますがあの頃に比べて物事も考えれるようにはなったと思います。感情の変化は繊細で自分でもわからなくなるときがありますがどん底で停止していた気持ちに起伏が出てきたと考えればそれ自体が生きているんだなと思わせてくれます。あの頃から今までの時間は終わろうとしていた人生に渡されたエクストラステージのようなものだと思っているのでこの日々に空虚感や罪悪感やノイズのようなものはあれどやはり後悔という気持ちを持ったことはほとんどないです。どうにか少しは生きないとなと言う気持ちになっています。今日はそういうことを書き残しておこうと思って日記を書きました。

 

昨日、久々に人と長い時間お話をしました。昔仲良くしていたので昔話とかをして当時のことを思い返していました。最近人と長いこと話す機会が減っているので体力が落ちているのを実感しました。でももともとしゃべることが好きなのもあって人としゃべることは良い疲労と良い刺激を与えるなと再認識しました。言葉を発することは記憶を掘り起こし、当時を紐解いていくことができるのでとても重要です。あと会話のなかでやはり鬱病の人間の行動や思考というのは一部の人には関心を持たれるんだなと思いました。私はそれを話すことを厭うことはありませんし現にこうやって書き残しておくことで自分にも有益な物をもたらしているのでいい事づくしですね。

最近は天気がいい日が少なく寒さを覚えることも増えてストーブもつけています。流石にストーブを付ける人は少ないと思うので自分の体温調整が下手になっているのもあるのかもしれません。今日の体調もあまり芳しくなく相変わらず頭が痛く寝起きもひどくなっている気がします。今日はやることもやったので早めに寝て生活リズムを直していきたいです。