@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

2018年7月7日の話

今日は七夕ですね。ハンドルネームが夕なので毎年七夕という名前にしろと言われるのですが今日はそれです。かなり安直だと思いますが毎年やるくらいには好きです。

そういえば北海道のおおよその場所は8月7日が七夕らしいです。地元では七夕が7月7日なので今日という認識ですが札幌は8月らしいので最初は驚いたことを思い出しました。

また、北海道の七夕は子供が各家にお菓子をもらいに歩く和製ハロウィンのようなものが毎年行われていて大人たちがそのために前日までにスーパーで大量のお菓子を買う姿もちらほら見られます。しかし、最近は物騒になってきたからか自分が各家に走り回っていたときよりはそのような子供の姿を見なくなった気がします。そして毎年決まって曇っていたのですが今日の空も曇天で天の川は見れそうにありません。他地域では引き続き大雨が続いているようで氾濫なども起きているそうですね。最近そういう被害をやたら聞くような気がするのですが日本は沈没するのでしょうか。結果として沈没することが決まっているのであればジワジワではなくさっくり潰していただきたいものですね。

 

今日目を覚ますと職場の人の仲がいいわけでもない人からラインが来ていて非常に気分が落ちました。結婚間近の40代の男性なのですが休職直前にもそのような連絡を頂いていた上にあまりスマホをいじらないのでというと「すぐ返信できるようにスマホは手元に置いておきなさい!笑」「俺も仕事したくない病で帰りたいわ笑」などと正直結構おこがましい方なので休職とはなんなのかという気持ちにさせられていました。その一言がどれだけ私を傷つけているのか一生わからないんだろうなと思いました。私は不可抗力のもと教えてしまいましたが職場の人に連絡先を教えるとこの様になる可能性があるのでみなさんも気をつけてください。精神的なことに関しては理解のある環境にない人にはやはり考えること自体が難しいんだろうなと思います。

しかし、人から連絡をいただける事自体は非常に嬉しいです。私はズボラなところがあるので返事はまちまちですが連絡をくれるということはふとした時なのか必要だからなのかどちらにせよ私を思い出し私宛に文字を打ち込み送ってくれたということなので一種の贈り物だと思っています。先述のような迷惑、落胆などの気持ちがあることもありますが嬉しい気持ちを覚えることが多いのは確かです。

休職に至るまでには色んな人が心配の声をかけてくださいました。内容は大体最近おかしいけど大丈夫か、というものでしたがそれだけ自分が異様だったかを指し示していると思います。休むきっかけになったのは確かです。改めてありがとうございました。今は自ら外に出るのを抑えているので余計連絡というのは大事なコンテンツなのかなという風に思います。

 

連絡といえば、昨日の夜、お父さんから誕生日のメールの返事が来ました。「忙しすぎて今メール見たんだ。ありがとう。いつでも帰っておいで。」という内容でした。これを過去の私に言ったら信じてもらえないような気がします。

お父さんも私もとてもとても不器用でお互い向き合いたいのに素直に向き合えない部分があって、お母さんには昔から「ハリネズミの関係ね」と笑われていました。加えて幼いときからお父さんの荒々しい部分ばかり目についていた私にとって彼は畏怖の対象でした。なので私は特段反抗期があったわけでもないのに淡々と何日も何ヶ月も何年もお父さんと会話をしない、彼も私が隣にいるのにお母さんづてに会話やメールをするようなそんな日々が続いていました。

それでもお父さんにとって私は愛娘らしくかつての待受は成人式の写真だったそうです。その頃あたりから私も年を重ねるたびにお父さんに声をかけるようにしました。直接お礼を言うようになりました。目を合わせるようになりました。話に相槌を打つようになりました。するといつからかお父さんも嬉しそうに私に声をかけてくるようになったんです。直接メールをしてくれるんです。スマホの操作がわからなくなったら私に聞いてくるんです。当たり前のことが20年以上かけてやっと出来るようになってきたんです。本当に不器用な親子で笑えてきますよね。普段ずっと無口なお父さんですが私とずっと喋りたがってたんだってことだと思います。せめて互いが生きているうちにそれが成し遂げられてよかったなと思いました。

そして休職をしてお父さんの偉大さを感じます。毎日毎日当たり前のように出勤して当たり前のように給料をお母さんにゆだねているんです。40年近く労働をしているんです。すごいことだと思います。3ヶ月でこけている私じゃ到底敵わないです。いつかに聞いたのですが私が昔とりあえずあげとこうと思って乱雑にメモ用紙に書いて置いといた誕生日おめでとうの紙をずっと大事にしているらしいです。それだけじゃなく私があげたものは全部大事に保管しているみたいなんです。そんなすごい人の支えの一つになっているってことなんでしょうか。信じられないです。家族ってそういうモノなんでしょうか。私は今ある家族があるからどうにか生きているという自信がありますが自分に家族ができたときのそれが想像できないです。わからないです。

 

話が大きく変わりますが昨日コンビニでMATCHという飲み物をもらったという話をしたらフォロワーから微炭酸だからyuingさんでも飲めると思うよという助言を頂き今日早速口にしてみました。確かにパッケージや色などの見た目から感じるパンチ力に対して微炭酸で味もオロナミンCを彷彿させるものでした。と言ってもオロナミンCも遠い昔に飲んだので似ているかは不明ですがこういうビタミン剤のような味はすごい好きです。駄菓子のラムネにもそういう味のものがあって結構食べてた記憶があります。

MATCHもそうですがこういうきっかけが無かったら一生口にすることはないものというのは多くあると思うのでそう考えると不思議な気持ちになります。意外とこういうきっかけってどこにでも転がってて私たちが気づけてない、意図して避けているだけなのかもしれないなと思いました。

 

今日は夢も見ずに仮眠もせずに家事を相応にこなしそれなりにマシな1日を送れたような気がします。お腹が痛くなったり自分の休んでいる意味について考えさせられるタイミングはありましたが久々に掃除機を分解してきれいにしたりなどしてそういう鬱々としたのも一時的に薄らいだように思います。今日もまた長くなってしまいましたがこのへんで。また明日。