起きたら薬が強かったのか驚くぐらい起き上がれなくて、かといって眠気があるわけでもなくどんよりとした感じでした。無理やり起き上がって顔を洗い終わったあと玄関からガンガンという音がするので覗いてみました。これは毎日8時頃になるのですが几帳面そうなおじさんが鍵をかけたあと何回もドアを引いて確認している音でした。音の理由がしれてよかったですが前ベランダから目があってしまった人とは違う人でした。どちらも男性なのですが同居しているのでしょうか。
気だるさが抜けてからは晴天なこともありなにか趣味的なことをやっても良いかもなという気持ちになりました。外に出るほどの活力はありませんでしたがまたベランダに出て見えるマンションや空や山を何も考えること無く見ていました。風が強く下の方にある雲は驚くぐらい早く動いていて若干気持ち悪さを感じましたがとても心地よくて知らぬ間に結構な時間を過ごしていました。いっときカラスがベランダにやってきて恐怖のあまり逃げるように窓を閉めたのですがいつかに悪い事続きだからお祓いをしようということでお祓いをした帰りにカラスに襲われたことを思い出しました。それは3ヶ月前のことなのですが今このように休職に至っていることからもお祓いの効果はやはり気分的なものでしかないのかなと思います。先述のものは帰りに起きているので気分的にも良くなったようには思えませんが。頭を思い切り掴まれたため一週間ぐらい痛かったのを覚えています。異常はありませんがその時は不安で仕方なかったです。
そんなことはいいとして、そのあとはTwitterを見たり本を読んだりいつもどおりの生活を送っていました。昨日からなにか映画を見たいなと言う気持ちがあるですが目移りしてしまって見れずにいます。私は人の人生や家族を描いたものや史実を作品にしたものなどが好きです。ミュージカルなども好きだったりします。あまりジャンルも邦画洋画問わずに見るのでなにかおすすめがあれば教えてください。せっかくアマゾンプライムであるのに持て余している感じがしてたまらないです。そうこうしているうちにこの意欲的な気持ちもなくなってしまいそうな気がしますがその前になにか見れたらなと思います。
今日も夢を覚えているのでメモをとります。鈴蘭とかすみ草と思われるキャラクター?が出てくる夢でした。二人(?)は突然人間になり、指輪を買い求めにいきました。鈴蘭と思われる男性はかすみ草と思われる女性を想い結婚指輪を買い、女性はピンキーリングを手にしていました。そうして店を出たところで二人は元いた草木ばかりの場所で元の姿となって戻ってしまうのですが身体が小さいため相対的に見て指輪が自分の体よりも大きく首からかけるような状態でした。二人はすごい幸せそうだったのですが冷静に考えると夢特有の意味不明さがありありと示されているなと思います。二つの花の花言葉を調べたら共通して純粋というキーワードが出てきましたがなにか意味はあるんでしょうか。
また、こうして日記として文字に起こすと毎日夢を見ているんだなと再認識します。夢を見ないほどに熟睡することを目標にしている以上良くない傾向だとは毎回書いていますが元々夢を多く見る方だったのでいまさら修正がきかないのかもしれません。でも今日中途覚醒は1回だけだったので良好だとは思います。また起き上がるのがしんどく思えたのでこれ以上薬の量を多くすることはないと思いますしあくまで休職中の量なのかなとも思っているので考えなしに飲まないよう意識していきます。
そういえばテレビでそればかり取り扱っているからと言うのもありますが例の西日本を襲った災害について思ったことがあります。平成の終わりまで1年を切っているなか平成最大と言われてしまえばもう平成においてそれを上回ってくることはないだろうなと思いました。
私が思ったのはそこではなく乱雑に泥まみれになったモノを重機が運んでいくそのワンシーンを見たときのことです。それらはつい数日前までは誰かのなにかだったものも豪雨で水で流されてしまえば不要なもの、ゴミとして処理されたりゴミ捨て場に集まるということが単純ながらも変な感覚にさせられました。さっきまでたしかにそれは誰かが使っていたものだったはずなのに、さっきまで誰かにとって大切なものであったはずなのに、さっきまでそこに誰かが住んでいたはずなのに濁流に飲まれて更地になって流されたものはゴミになる。無法地帯となった場所に取り残されたそれらは価値を無くし重機によって無機的に処理していく。それらをテレビ越しに見て不思議に思いました。だからどうしろというわけでもどうにかなる話でもないのですがとにかく不思議に思えて仕方なかったのです。
私はいつ死んでも恥の少ない状態にしようと3ヶ月使わなかったものは捨てるなど定期的に整理をしています。それでも傍から見たら価値がなさそうなものも私にとっては大切なものというのもやはり一定数あって使わないのに捨てれずにいるものもあります。祖父が亡くなったとき祖父の遺していった私物全てを叔父は見境なく捨てたそうです。お母さんは回収できる限りしたそうですが(先日話したものがその一部です)私が死んだときも私にとって付加価値のあったモノやそのモノの真意を目を向けられないままに捨てられてしまうのかなと恐怖しました。だからといって生きているうちは手放したくはないのです。どうしたら良いのかわからないですね。生きていたという痕跡は遺したくなくてもその大切なものは確かに失いたくないという矛盾が自分の中にあることに気づきました。
こんな鬱々とした話とは違い昨日今日は気分も調子も先週に比べていいです。少しずつ真人間に戻りつつあるような感覚がします。無為に過ごしていた時間にも確かに意味があるんだと思えました。良かったです。この話を打ち込んだときに自分は人生をやり直したくないという話を思い出しましたがまた今度します。休職の間はしっかり毎日日記を書きますので機会はあると思います。また明日。