今年まだ書いてない!?とか思ってたんですけど、一応新年のあいさつをしてましたね。
それでも読んでみると実家にいる間になにあったとか全然かけてないなってなったのでそれを付け加えつつしばらく考えを文字に起こす時間が取れなくなるので必死こいて思い出してます。
実家にいる間は脱力というか、何もしたくない、寝たいけど瞼が重くなったところでご飯に呼ばれて終わったらお風呂に入って上がったら歯を磨いて少し家族と会話をしたらあとは眠くなるまでずっとショートを見ている、っていう不完全燃焼な時間が結構ありました。
なので、本来だったらできるレベルのこともできずに、持ち込んだタスクも消化できないままに1日をゴミ箱に捨ててました。
しいて言うなら年明けに婆の家に行ったり、親戚の家に行ったり正月のばたつきを感じたぐらいですかね、あとは前回書いた友達と会ったっていうのぐらいで。
親戚の家に行ったら延々と酒を飲まされるので眠いと言ってソファで寝て逃げたのですが実際だるくて、疲れが出ていた気はしました。たまにいるめんどくさい遠縁の人もいないで平和だったんですけどね。
たまに話題にあげる大叔母夫婦の家だったのですが、自分のはとこに当たる孫(私より7~8歳ぐらい下)がもう子供を産んだという話を聞いてひ孫を元気な状態でみれてよかったね、と思いつつ私はそれをする気がないので面目ないなと思いました。
大叔母にはせっかくなんだからいい男引っ掛けてきなさい、なんていうんですがまあ昔の人なので結婚は当然って感じじゃないですか。親は理解してくれていますが幸せになってほしい、の形の一つが結婚なんだろうなと思います。
実際大叔母は色々ありながらも素敵な人と出会えて寄り添えていると心から言えるような人です。時代だけじゃなく環境や思考、地盤が全く違うんです。幸せを誰かと形成できるのはきっと素敵なんでしょう。それが世間が羨みながらもマジョリティである人間の在り方であり一つの区切りなのだと。
でも、今の私にはおそらくできてないし、能動的にはしないんだろうと思っています。私が"それ"になるにはあまりに欠損が多すぎます、それを補填してもらおうだなんて思えません。
無論、何があるかわからないという気持ちも若干は残していますけどね。ただそれは希望のような光に導かれるのではなく、自分が泥沼にいる根底は変わらない"それ"を許容してくれれば、って感じになるんだろうなあって感じです。完全理解とかは無理だと思うので。
気づいたら数年と経ちましたが私は半日後の自分のことすらも想像がつかない日々を送っている、自転車操業のような日々です。それでも先々への計算も兼ね備えなければならないとんでもない道を不安定なハンドルの持ち方でガタガタ言いながらゆっくり走ってます。
一人でいるときは、何をしたって自分が全てで自分に責が来ます。だから楽なんです。この程度の傷だろう、って予測したうえで受け止められるので。
誰かと会うのは好きでも、人と連続で居続ける(一週間以上、一か月以上などの単位)のも誰かが自分のせいで、を避けるために頭が焼き切れるほど思考して息切れをする。責任逃れをしたいと悲しむのを見たくないが半々です。1人の時間が一定時間あれば酸素を取り込めるんですけどね。
私にとってはかすり傷で済んだとしても相手にとっては瀕死寸前の致命傷になるかもしれない、それがわからないことが怖いし下手な方向に頑張って折れたから私はシャットアウトすることを選んでしまったのかなとも思います。
誰かと何かすれば楽しさは何倍とかも感覚ではわかります、世間の人生における『幸せ』イベントもその通りだとも思います。そうやって紡がれてきたのが今なので。
マイノリティで冷めた考えをぶつけてしまって失敗してきた経験からもう可能な限り自分起因の破壊をしたくない。世間のそれに善性を感じるからこそ疲れという感情を持ちたくない。もういやだな、という引き金を引かないように立ち回っている。
だから独りになるよう過ごしていたのですがまずいな、となったのが前回なんですけど。
無論、淘汰される側ですし、この先まわりまわってまた1人に落ち着いたならそれはそれでいいです。だからこそ幸せな人から提案される『幸せ』というのが触るとやけどしそうなぐらい痛く、苦しいのです。
私にとっての幸せは世間から見たら小っちゃいものかもしれないです。でもそれが一定間隔であればそれで充分なのです。人間に嫉妬も絶望も久しくしてません。
人と人の間に(社会的立場とは別の単体としての話)上下って基本存在しないと思っています。だから羨むことはあっても一瞬で嫉妬もしないです。その時間で姿見で自分を見たらいいと思います。そして、絶望をするということは他人に期待したということなので自爆してるだけですし。まあ私が仮に期待されているとわかったら応えたいと思ってしまい120%フルスロットルで動いてしまい、力尽きてその緩急から裏切ったとか見捨てられたとか思われるっていうのはバカみたいに経験してきました。
どこかのpostか記事か忘れましたが精神病の人が「一人でいるときだけは自分で居られる、〇〇という肩書は外にいるときのカテゴライズとして付けられる」的なことを書いてたのを思い出します。
そう考えると自分が先のように処理できるのは引きこもって比較対象が大していないからこそ一人であれこれすることは当然、世間で何が起きているか頭半分でしか入れていないからこそケガが軽減、異常と言われても飲み込めているんでしょうか。
ずっと社会と触れていたら自分は特筆することなどない無個性だという内側への矢印でまたズタズタになっていたかもしれません。当然修復に時間が必要なのでこうやって文字を起こす時間もなく日々を溶かしていたかもしれません。
話は戻るんですが、その正月の席でお母さんは大叔母にずっとお父さんの愚痴をこぼしていました。1時間ぐらい寝ていたのですが言葉を少しずつ替えながら同じ様なことをずっと言っていました。
真横で大叔母の旦那と仕事の話をしているとはいえ、少しは気にしないんですかね、お父さんも。まあ都合が悪くなったら黙り込むし頷きとかもないので気にしてないのかもしれないんですが。
お母さんも珍しく酔っていたなと思います。友達なんていないと言っていたのに加えてSNSもやっていないのではけ口がないのはわかっていますが、帰りに今日同じことずっと言ってたね、といったら二度と言わないと少し逆ギレをされてしまいました。
こういうの見てるから人と人がくっついてもなあ、と過ってしまうんですよね。
それから札幌に戻ってくるまでは先述の通り終わりみたいな生活をしていました。
その中で変わったことといったらお母さんのタバコの吸い場所と吸うものの種類の変化でした。大昔ニコチンパッチなどで禁煙を試したのですがやはり無理だったようで(ニコチンが合わないのか気持ち悪くなるそうです)タバコをよりどころにしています。酒が飲めなくなってもタバコは吸いたいというこのご時世の真逆を生きるスタンスです。
お父さんが手術と治療の兼ね合いで禁煙してもう1年とか経つので、お母さんもいつもリビングで吸っていたタバコもベイプに変えて、実家の階段下で吸うのが基本になってました。私のように一人になる時間が欲しいからそうしてると言ってました。
ただ、大波のように溢し続けた愚痴が何となしに聴こえてたことを思うと何を考えているんだろう、と思いつつその耽る様子を邪魔しないように過ごしていました。
弟はあれやこれやと伝えてくることはあるんですけど狭い地元で生きているなと思いました。まあ不可抗力ではありますが、楽しい?って聞いたら楽しくやってるよと言っていたので大丈夫、なんですかね。お父さんが近づいたら明らかに怯えまくって部屋の隅でイヤホンガンガンにして耳ふさいでましたけど。
はたから見たら恵まれているように見えるかもしれないですが、内部構造はだいぶ杜撰になってきているというか、限界が近いんじゃないかと心配しています。
お父さんに車を出してもらったとき、仕事の荷物がある都合で助手席に乗ったのですが眼鏡をかけた状態でしっかりお父さんの顔を見たら想像の3倍はしわがくっきり入ってました。目を合わせるのが怖いから、テレビと反対側に座っているから、近くに行かないから、色々ありますがしっかりみたのは久々で、もう還暦すぎてるんだもんなとか、ストレスすごそうだもんなとか、何かできないのかとかそっちでも色々考えました。
考えたところで、大金持ちでもなければ大出世しているわけでもなく、一人で生きるのが精いっぱいの範囲のお金しか持ってませんし、結局顔を出すことぐらいしかできないんですよね。それをしてもう11年ぐらい経ちます。
まあ~~家族と自分のあーだこーだ終わらない話はこの辺で。思うことあれど、キリないので。
お正月だったのもあるのでお雑煮を食べたいといったらいつも前日から仕込んでくれるんですがそれは本当においしかったです。お母さんが作ってくれるものは全部大好きですけど。干し椎茸とごぼうとみつばは入ってないと雑煮食べてる感じしないんですよね。
帰りは前回が要約するとお金がないから帰ってもいいかって感じだったからかご飯とか日持ちするものとかをたくさん持たせてくれました。
何か実家から持って帰ってきた食糧とか、親がくれたお金とかって"親が自分を想ってくれた"という付加価値がついてもったいないというか、実際の価値以上のものにみえてすぐ消化できなくてため込んでしまう癖があります。食べるもの自体はあるけどこれは本当に困った時食べよう、みたいな感じです。そこにあることで近くに居てくれてる感覚になるんですかね、表現難しいですけど。
かえってきてからは2024年のまま止まっている散らかった部屋が待ち受けていたので荷ほどきの流れで部屋を掃除して、できてなかったゲームをして、ホントは先週の予定だった病院に今日行って今って感じです。
朝起きて病院の休憩時間になってしまうことを思い出して早めに部屋を出て皮膚科と精神科をはしごしました。
どの薬局でも処方箋を出せば薬は受け取れると受付で念のため確認をとったので皮膚科で処方箋をいただいたあと、真っすぐ精神科に行ったのち、最寄りの薬局にまとめて出したら皮膚科の薬が取り寄せないといけない、と言われて結局皮膚科の最寄りの薬局に戻り、という大手間がかかりました。
分野が全く違う最寄りだし、マイナーな薬も出してもらっているのもありますし、仮に逆の薬局にまとめて持って行っても種類が多すぎるからこれがないあれがないとかなってたとは思います。
暖かい気温で歩くのに不便を感じないぐらい心地よい天気だったので普段より多く歩いて太陽浴びれたのでヨシとしました。
はしごの時予約時間にぎりぎりに間に合わないかもしれないからいっそタクシーを使おうか何回か悩んだ中どうにかタイムアタックに成功したのでそういう意味でも今日はがんばったということで。
前回の日記からなんかあったかなと考えていたのですが昨日一昨日とありえないぐらいお腹を下していました。汚い話になりますが痔だけじゃなく粘膜もでてきて前の部屋に居たときにどうしようもなく救急車を呼んだ時を思い出しました。
吐く構えというか、吐きそうになるときに過呼吸気味になるのが起きたのであ、これまずいぞとなったので横になったのですが今もお腹の左側縦に腸を沿うように違和感があり、触ると痛いです。
救急車を呼んだのは就職して2ヵ月ぐらいの時で2週間ぐらい入院したはずです。虚血性大腸炎って言われたんですがホントにそれか?ってなってます(ウイルス性かどうかを調べられない日々が続いたので)
ストレスはその時から始まっていたんじゃないかと前の病院の先生はいっていましたが前の先生はあてにしてないのでわからんです。
しいてこれか?っていうのを思い返すと最近母校で国語を教えてくれていた先生からのお誘いで食事に行ったときのレバ刺しかな~って感じなんですけどそれ原因だったら怖いですね。
先生とはすごい仲良くしていたとかいうわけでもないんですが同窓会で少し会話をしたときに電話番号が残っていたという数奇な経緯がある人でしたのでSMSをやり取りしていました。仕事しているフリしながら会話するのはちょっとしんどかったですがあの時実はこうだった、みたいな会話が聞けたのは面白かったです。また誘うかも、と言われたのですが頻度はもっと抑えてもいいのでは…?せめて生徒複数人とでは…?とか思ったりしつつ笑ってごまかしましたが流されすぎないようにはします。
不躾ながら年齢をお聞きしたらお父さんの3つ下だったので実質親と飲みやんけ…と思ったのはここだけの話です。
高校の特に後半になればなるほど選択授業かつ放課後は個人指導という流れが増えたので複数人であうとなったらよっぽど慕ってたか、元担任だったかになってしまうのも事実なんですよね。恩師に会いたいですっていうとして、その時もサシになってしまうなあとか考えてます。
検索すると意外とそういう誘い・誘われの経験がある人は山のようにいて基本的に「やめておけ」が多かったです。
一方で先生としてではなく人生の先輩として個人的にずっと慕ってるみたいな関係を築いてる人もいるので自分の学校が特殊すぎるのかもなとも思います。
あとこういう誘いを受けたときに思うのが人並みに酒が飲める身体でよかったなと思います。まあ大やらかししたこともありますし随分弱りましたがとりあえずどっか飲み屋入ろうって言われたときに行く!って言いやすいので大学時代は本当に助かりました。
飲めない人が場を冷ますとかは全くないんですけど、判断能力が鈍っている人と素面の人の差って結構明白なのでそういう差ができないようにするか、そういう人とは少人数でカフェとかランチに行くとかしてました。
飲める仲のいいヤツが周りにいるとなると大らかな気持ちになってしまいピーク時の勢いで飲酒をする事案が発生するので(これ2年前やらかしました)やらかしてからは自制してます。ここから衰える一方と思うと苦しいですね。
どういうプランにするとか決めてないんですが会おうね~って言った人たちに来月か再来月声かけて誘ってみようかな、とか思ってます。有限不実行は惨めすぎますので。
最近数年ぶりに通話ができた相手とかもいて何かと交流という意味での縁はたぐり寄せれてるかなと思います。だらけて寝ようとしていたのに話すとなったら饒舌になるから道化か何かかって感じですよね。本当に楽しくてしゃべってるんですけどね。たまに大声すぎて隣にいい加減怒られないかなって思ったりするんですが幸いクレームは来てないのでセーフっぽいです。正直審議の余地あるだろと思いますけど、寛大すぎませんか隣の人。
情緒乱れまくっているとき料理中の肉叩いてる音が一生するからと壁叩きまくったこととかあって管理会社が連絡してくれたってことがあったんですけど…あれ未だに申し訳なく感じます。
今思えば前の部屋は今の部屋より立派でちゃんとしているのに毎週末パーティーかなにかする人が引っ越してきたせいで下の階の人?にドアに何時(具体的な時間)にこの音、と10項目ぐらい埋めた紙張られたりしてました。管理会社から注意警告のビラも貼られてましたし。声は女の人3人ぐらいがメインでたまに男もいたりでした。会話も丸聞こえ。21時ぐらいから騒ぎ出して夜中の2時か3時ぐらいに静かになってましたね。
私も管理会社に連絡入れて強制退去するだかで半年ぐらいで消えていきました。一番頭おかしくなってた時期にそれだったのと壁叩いたとしても構造的に騒いでる場所から1番遠い場所を叩いてるから聞こえていないっぽかったです。
連想ゲーム的に色々思い出してきましたが通話が楽しかったし気軽に誘える人がいる現状最高かもなあって話をしたかったんですが疲れてきて終わりを見つけられませんでした。
そういえば、腸を絶賛やらかしていると言いながら最近ハマっている炭酸のラムネをずっと食べているんですが悪化したら笑えないですね。作業中は元々ガム、ちょっと前にグミ、最近またガムを食べてたんですがここでラムネにハマりつつあります。
すぐかみ砕いちゃうので手止まらないんですけど、これ集中できるんですかね。
というかその前に食べたいからと刺身を買ってご飯の上に盛ってってことをしたので負荷強いどころじゃないかもしれないです。明日から可能な限りお腹をいたわりつつ終わりのような生活リズムが待ち構えているので一週間耐え忍びたいと思います。
なんか7000文字も書いてたんですけど焼き回しみたいなこと言いまくってると思います。すみません。文字の書き方忘れかけてるので頻度あげてまた慣らさないとです。
特筆して支離滅裂な文章を今日も読んでくださりありがとうございます。見られている意識から続けられているところも最近はあるので可能な限り日々だの思考だのを記録していきます。次は2月になってるかもしれないですがまた書きます。それでは。