@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

思切

最近追いかけるような毎日を送っています。能動的に、掴み取ろうと必死こいて口の中が血の味がしても気にせず歯を食いしばって何かを掴み取ろうと、そのために体力が必要だと、見上げるための視力が必要だと、見られるだけの見栄えが必要だと、気づいて振り返ったら一週間を過ごしたかのような残骸まみれの道ができて疲れはてながらシートを開けて薬を流し込んで眠ってを繰り返していたら6月も中旬といったところです。最近の自分の「うまくいっている」感が怖くて仕方ないのです。こんなにやることなすことに結果が伴ってきたことが今までないので終末を感じます。

皆口々に「元気そう」「調子いいね」というのですがある人の「死ぬ前の最後の灯火か何か?」と言われてそれが1番納得しました。私の日々がこんなにうまくいくわけがないのです。不幸、と自虐するのは好きじゃないのですが本当に間の悪い読みが悪いタイミングの決められない考えすぎる、そんな人生なので本当につけあがってはいけないのです。

本当に何も考えられなくなったときお母さんが何度も何度も言ったのです「嬉しいと辛いは半々」だと、辛いことが多かっただろうからこれから嬉しいがたくさんだよと言うんです。よくいろんな占いだとか性格評価だとかだとか見ると決まって大器晩成型だとか言うのです。大器晩成、耳が腐るほど言われます、だからきっとそうなんでしょうけどそんな長く生きる予定はないのです。この空間に醜態を晒してまでしぶとく生きたくはない。能動的に生きることとしぶとく生きることの境界線は一体どこなんでしょう。

日記を書いていてもはてブロには書かないせいで何を伝えていて何を書きっぱなしにしているのかわからなくなります。探り探り思い出しながら書いています。

最近、文字を書きたくても書けないということが有りました。手で書く○はいびつです。きれいな丸が書けません。文字も納得がいかないものばかり。最近お母さんの字ににてきた気がします。筆圧が強いのですが筆圧をかけられない、浮ついた文字になって付箋やレポート用紙をぐちゃぐちゃにしてゴミを増やしています。よく書いている文字も納得の行く文章が降ってこない。頭の中で流れ続けるストーリーにノイズがかかって汲み取れないのです。イッピに上げた文章が気持ち悪いと感じたのはそういうスランプのようなものなのでしょうか、当たり前だったことができなくなって利き手が麻痺したような感覚です。あちらを立てればこちらが立たず。出歩けるようになったかと思えばふれあいたい文字、理性の部分に亀裂を感じています。

うまくそこのオンオフもできるようになったらまだらしい部分が残ってくると思うんですけどね、そこらへんの尖らせ方とか方向性とかも見定めて時間を使いたいです。じゃあそれができなくなって最近どうしていたんだっていう話なんですけど出歩くことを意識しました。どんなに暑くても、心が落ちていても明日出かけなければならない、を作ってみました。なんとなく忌避して触れないでいたメルカリに手を出してみました。それはもともとグッズの交換というものをTwitterで経験してから案外いけるんじゃないか?というかんじであれこれとメッセージのやり取り、梱包発送とやって「人との約束化」することでどうしても外に出なければならない状況を作ってみました。幸い部屋の近くにはメルカリに優しいグッズがうっている場所もあり、これをつかってこれを書いてと慣れないなりに色々とやっていました。

自分がいらないと思ったものは捨てるのが忍びないから箱に詰めて鑑定・処分をしてもらうようにするのが常でした。一つ一つ売ればきっと価値があったんだろうけれど取引が面倒。梱包がわからない。そういう不安に責任を感じて嫌悪していたのです。忌避していた理由ですね。何箱分かわからないプライズフィギュアや服やかばんなどをそうやって処分してきました。「ごみ」にはできなかったんですよね、その気になれば使えるから。でもその気にはなれない、もうそういう年ではないからと切り捨てる必要があったからそうじゃないとゴミ屋敷化してしまうのである程度見切りは必要なんですよね。そしてそういうのは突然やってきて、そのタイミングを逃すとかさばるだけなのです。結果的に。紙袋とか「いざというときに使えるから」って溜め込みがちじゃないですか。いざって来たことあります?案外ないんですよね。だから異物に見えたときはもの人問わずそれにそぐわない顧客・人物像・価値観になっている脱皮のタイミングなんだと思っています。病む前からものの断捨離が好きなのですが考える尺度の一つとして3ヶ月使っていなかったらその先も使わない(だから捨てる)ということをしています。書面とかはそうとも限らないので紙類ばかり溜め込んでいますがそれ以外は割と平気で処分しています。去年の今頃は部屋にペットボトルが溜まり始めたのにそれにも気づけなくないでベッドでぼーっとしていました。部屋に生活感があるのが嫌なのもありそれに気づいたときはかなりやられていたのだと冷や汗をかいた記憶があります。

まあその断捨離の仕方の一つに誰かに売る、というのが出てきたのは新しい学びだと思いました。自分はトイレの芳香剤かよと思い放置していた香水もすぐに落札されて「とても嬉しい」と言われる。自分にとってゴミでも誰かのほしいものである可能性を見ました。売るを軸にしてはいけないと思いますが選択肢の一つとしてはかなり有りですね、ノウハウを少しずつ学んで、梱包してコンビニや郵便局に足を運ぶ。面白いことを知れました。

 

断捨離で思い出しました。最近親知らずを抜きました。ずっと「そろそろ抜いたほうが良いね」と年単位で言われていた親知らず。30分で2本抜けました。「素直に生えてきていたからすぐ抜けた」とのことでしたがこの親知らずに引っかかっていろんな歯ブラシが潰れたりまずい歯磨き粉にあたったり結構散々だったのですがいかんせん通うことができない。

同じ歯医者さんに行くということができなかったのです。美容室とかとちがって歯医者さんが嫌というよりも誰かに言われているわけでもないし…と急ぐことじゃないだろうとなあなあになってしまうのです。メンタルのように薬がないと困るなんてわけでもなく。かと思えばまあまあお金のかかることでもある。というので歯周病なのでは?という症状や被せものの劣化などもあったので近くの歯医者を予約しました。

「歯に対してすごく丁寧に向き合っていますね」と言われました。は?と思っていたらその歯ブラシだの歯磨き粉との格闘が"ちゃんとしていた"らしいです。私が気になる諸症状(粘つくかんじがする)は歯周病ではなく自覚症状はあったけれどそれ以上に唾液の分泌量がかなり少ないとのことでした。メンタルのお薬は唾液の分泌を抑制しがちというデータがあるんですよという話をされたので余計そうなっているかもしれませんといわれてへえ、と納得が行きました。緊張すると唾液が減るという話をされたのであ、私脈拍常に120なんですよといったら安静にしていても常にマラソンしてるような状態ってこと!?そりゃ唾液も減るね!とかなり驚かれました。私は常に緊張状態を保持している(常に気を張っている)のは自明の理だなとも思いました。年齢の割に歯茎がしっかりしていて歯周ポケットと言われる部分も全然深くないよとのことです。

ただ親知らずを抜いたとき上の歯のほうが丈夫だと言われ奥歯を噛みしめるクセがあるのでは?とも言われました。寝るときに意図的に口を緩めないと行けないという話もしました。大変だね、と言われましたが生きにくいだろうなと思われたと思います。意図的に抜いて歯の根までしっかり見れるなんてもうないと思うので抜いた歯を頂いたのですが上の歯と言われたほうが根が太く、ハの字になっていました。面白くて定期的に見てしまいます。あんなに憎たらしいと思っていたのに抜いてしまえば物珍しい化石を見る感覚です。案の定虫歯になっていて(唾液が少ないと虫歯になりやすいです)抜いてよかった、以外の感想が有りませんでした。その後の歯痛なども一切なく今は被せものの治療を一週間おきにしている感じです。もう一つ親知らずが残っていますがそれはもう少し先とのこと。今度こそちゃんと通いきって「定期検診にきてくださいね」と言われるまでがんばります。

皮膚科にもやっと行き直すようになったのですが文字がバカみたいに増えたので土日に続き書きます。最近のまとめみたいな感じで…今日は暑くて疲れたので寝ます。