@yuing__ の話

鬱になって休職したあと退職した人がtwitterでつぶやかないことを書きます。

2018年9月25日の話

今日は8時すぎに目をさましました。でも体に力が入らなくてまた寝ました。起きたのは10時ごろです。最近はそういう日が多い気がします。

病院に行くためにいろいろと準備をしていましたがベッドを出てから2時間程度は浮遊感やしびれは一切ないので快調な気分になっていました。その気分のままご飯をたべて顔を洗って化粧をしていると少し肌が突っ張っている気がしました。多分乾燥していたんだと思います。準備を終わらせて外に出てみると思ったより肌寒かったので知らぬ間に秋になったんだなあと思いました。秋といってももう9月も終わりなので一気に冬ですね。北海道の夏は本当にあっという間で、冬まで一直線です。秋が1番好きな季節なのでちょっと寂しい気持ちもあります。

 

病院には午後の診療時間に間に合うように歩いていきました。最寄りの病院までは2駅分あるのですがしびれないか、脱力しないか気になったので歩いて行ってみました。その間は数日前のような気持ち悪さはありませんでした。病院に行く安心感からとよくなったのか?とすら思いました。

しかし病院について診察をまっていると頭の左側が割れそうなぐらい痛くなって思わずうずくまってしまいました。いつも偏頭痛は右の後ろ側、じわっと来るものなのに対して今日のはガツンとくるような、その反響がいつまでも続いているような痛みがあって思い切り手で抑えてそのまま指で圧力をかけました。痛みをごまかして手元にあった鎮痛剤を飲んで更にごまかしをかけました。

診察のときになって調子はどうですか、ときかれたのでしびれと頭痛のことを言いました。心療内科なので管轄外だとは思いますが相談しておきたかったんですと一言添えて5日前ぐらいから症状が続いているということを話しました。あんまり長いと先生は話を聞き流すところがあるのでところどころ端折って話しましたが先生は不安そうに脳神経外科に行ったほうが良い、私のところに返事が来るようお手紙を書くから持っていってくれるかなと言われましたが要は紹介状を出すということでした。脊髄の損傷とかだったら腕とか足とかのしびれの説明はつくけどそうなると頭痛とか顔のしびれの証明がつかなくなるしお風呂に入って悪化するってことは肩こりとかそのたぐいでもないってことだから私もあなたも1回安心するためにもMRIとか撮ってきてほしいんだよねと言われて飲み込むほかなくわかりました。と言って診察は終わりました。久々に血圧を測りましたが80/40で少しびっくりしました。普段より一回り?低いですよね。

帰りも頭痛が落ち着いていたので歩いて帰ろうかとも考えましたしそのまま脳神経外科に行こうとも思いましたが思いの外寒く買い物もしたかったので脳神経外科は明日に回すことにしました。会社の定時の時間を過ぎてスーパーに行くとほぼ必ず会社関係の人がいるので気が気でないのです。それはとても恐怖でしかないので私は人が働いている時間にしか外を出歩けない人間になっていました。なんだか宅浪時代を思い出します。

宅浪時代も1番人の利用時間が少ないであろう平日の10時~14時を狙って外に出るようにしていました。図書館にいくのもコンビニに行くのもスーパーに行くのも全部その時間で済ませていました。まあ単に16時以降に外に出たら親が心配して変わりに買ってくるよ?何がほしいの?と言ってくるような環境下だったというのもありますが同じ地元で育った同世代の中でも1人違う学校に行ってしまったのでそういう人たちが出歩く時間は気まずいという気持ちもあったと思います。当時は今ほど外に出ることに前向きでなかったので3ヶ月ぐらい家から出ないなんてこともザラにありました。人生で1番生活リズムも精神的にも終わっていた時期だなあと思います。目を覚ましてから眠るまで勉強のことが常に頭をちらついて回りにはそれに関するものが散らばっていて、逃げる場所はなかったんですから。今よりもあまちゃんだったので余計です。自分や家族について考えることなんて宅浪の終わり際にはじめて気づくぐらいずっと当たり前として放棄していたので本当の意味で終わっていたんです。

 

買い物を終わらせて家に帰ってみてもなんだか元気が有り余っていたのでまた部屋を片付けたりしていました。溜まっていた洗濯をして衣装ケースを整理したりしました。

そうしているとしびれがピリピリしてくるのを感じました。今もそうです。人差し指と中指の間や足先、前腕。顔の頬全体は相変わらずじわじわしびれますしピリピリは右側にも来ている気がします。

MRIを撮るのにいくらぐらい掛かるんだろうと思いお母さんに連絡を入れてみました。あわよくばお金がもらえると良いななんていう良くない気持ちもありましたがお母さんからはすぐ返事がありました。そうなの?わかんないからお父さんに聞いてみるね。お父さん入院するっぽいしもしかしたらお金は送れないかもしれないけど…と来て自分のことなどどうでも良くなりました。すぐにお母さんに電話をしました。時間はかかりましたがお母さんは電話に出てくれました。

お父さんが入院するってどういうこと!?と焦ったように言った気がします。サラッと書いていましたが私は何も知らないですし自分が以前入院していたことで入院に莫大なお金がかかることもわかっていたのでいろいろ状況を把握したかったのもありました。私の場合は入院したといってもお腹が痛すぎて救急車を呼んで緊急入院したというだけなんですけどね。

お母さんはしれっとした様子でほらお父さん前から鬱で通院してて先生が入院をすすめてきたのよ。お父さんもそれに前向きで。てんやわんやだよね。と言っていました。続けて、入院っていったってどれぐらいなんだろうね?1週間とか2週間とかかなあ。などと言っていましたが私が今鬱で半年休職をもらっている事実をお母さんは忘れているんでしょうか。私にそっくりな性格のお父さんがそんな短期で戻ってきたところでリバウンドというか強い重圧に負けてしまうだけだと思います。なので鬱って私の前の腹痛みたいに明快な終わりがないから数ヶ月単位あり得るよ、と言いました。そう…とお母さんも困った様子でした。

その話が落ち着いた後で私も私で今左半身しびれててMRI撮るからその状況も伝えたかっただけ、大丈夫だと言いけどねなどと言って電話を終えましたが自分のことよりもお父さんのことが心配でした。通院していたというのは知っていますしそれももう数年単位になっているのも知っていますが家の中で一切そういう鬱な部分を見せていなかったのでわからなかったです。むしろ私の前では嬉しそうにしていたとお母さんは言っていたので私は1番マシな部分を見せられていただけなのかもしれません。

いつかにお母さんがお父さんが日に日に衰えていっているんだよね。とこぼしていたことを思い出しました。俺はもうすぐ死ぬんだ、お迎えがそこまで来ているんだ、親父がそこにいるんだ、って言ってくるの。と言われても困るわよねなんてお母さんは言いますがお父さんはそういう勘が鋭い方だと思いますしそういう冗談は言わないと思うので不気味で仕方ないです。お母さんは普段の愚痴のついでのノリで聞いているようですが私は心配です。大丈夫なんでしょうか。私が顔を出せば少しは元気になるんでしょうか。来月帰るつもりですが手続きを終えたらのつもりなので入院しまったならせめてお見舞いの1回や2回は行きたいです。

私のこの現状から正直人のことは言えませんが常々言っているように私は変な形で延命するならさっくり死にたいのでこうやってMRIを撮りに行く流れになっているのもなんだか滑稽ですよね。今の医療は生きながらえさせる手段は様々あるから私の知るいつかの誰かのように意識ははっきりしたまま動けなくなって、しゃべることもできなくなって、悔し涙を流しながらただお迎えを待つだけになってしまうのはなんだかなあと思います。ただ医療に支えられないと死んでもいつまで経っても見つけられなくてしわ寄せが家族に行ってしまうかもと言うのがあるのでやはり難しいです。まあお金がかからないうちに原因だけ特定させておきたいかなと言う感じで動いてるのはあります。

ぼやっとした浮遊感が薄れ、ピリピリした刺激のあるしびれが増えてきたというのは何の変化何でしょう。仮にそうだとしてじゃあその予兆のようなものはなんだったんだ?となりますよね。さっさと脳神経外科に行けって話ですよね。明日行ってきます。

昨日は夢を見ませんでした。ゆっくり眠れたようです。寝起きはあまり良くありませんでしたが。

最近は病状の話ばかりでごめんなさい。日記なのに何に謝っているんだという感じもしますが一定数読んでくれている人もいるみたいなので。これはまったくもって心配をしてほしいから書いているわけではなく毎秒毎秒状況が変わっていくこれを記録しておかなくては行けない気がするので書いています。せめて原因がしっかりわかるといいですね。使い物にならなくなるなんてことがなければいいのですが。頭痛が悪化するのでちょっと億劫ですがお風呂に入って寝ようと思います。お疲れ様でした。